【1988年】
1988年3月17日、北側に近畿自動車道が接続した。この接続により松原
IC は松原JCTに変わった。(◆模式図3を参照。)
当方はあまり拘らないのだが、高速自動車国道では、一般道路との接続箇所を
イン ターチェンジ、高速自動車国道同士の接続箇所をジャンクションと呼んで
いる。後者 は拡大解釈されて高速道路に準じる一般有料道路や都市高速道路と
の接続箇所も含ま れるようになった。松原ICは、これまで大阪中央環状線の
各方向と阪神高速道路と 接続していた。阪神高速道路と接続していないときは
松原ICで問題ないが、阪神高 速道路と接続してもまだ一般道路との接続が含
まれている。
現在ならば松原IC、J CTと併記されるが、当時はインターチェンジのま
まだった。今回の近畿自動車道と の接続で、3つの高速道路が接続して松原
JCTと呼ばれるようになった。大阪中央 環状線北方向(大阪市平野区方面)
は近畿自動車道を経由して長原ICを利用するこ とになった。したがって、松
原JCTでは直接一般道路に接続していない。ところが 南方向(松原市方面)
は、これまでのように大阪中央環状線に接続している。1年後 には阪和自動車
道が開通して、この接続は廃止され、あいまいな状態は消えてしまう。
なお、近畿自動車道が接続しても相変わらず阪神高速道路は西名阪自動車道直
通本 線だけの供用のままである。このころから西名阪自動車道の松原JCTの
すぐ東に配 置された松原TB(本線料金所)が渋滞ネックになってきた。特に
下り線(天理方 面)の渋滞列は1キロ以上伸びて、松原JCTを過ぎて阪神高
速道路、近畿自動車道 本線へとつながった。1年後、さらに阪和自動車道が接
続して、この渋滞は致命的に なってきた。最優先の渋滞対策プロクラムに該当
し、松原TBの拡幅(上り線は柏原 TBへ移設)が実施された。渋滞は緩和
し、少なくとも松原JCTを越えて各方面の 高速道路本線に渋滞列がつながる
ことは希になった。
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