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【はじめに】 2005年8月29日、巨大ハリケーンカトリーナがルイジアナ州ニューオーリンズを直撃した。カトリーナはその4日前の8月25日にフロリダ州マイアミに上陸し、フロリダ半島を横断した。さらにメキシコ湾を1000キロほど西進して再度上陸したのである。日本における台風は一度本土に上陸すると勢力は急速に衰えるが、メキシコ湾においては緯度があまり変わらない移動なのでパワーを維持したまま再上陸を果たす。勢力が衰えたのはニューオーリンズ上陸からさらに1000キロ北上したテネシー州に達したときである。 カトリーナに関する気象基本情報は各種マスメディアに詳しいので、本稿で改めて記さないが、ニューオーリンズ上陸後の進路はミシシッピー川の約200キロ東をほぼ平行して北上したことだけは記しておく。(図1のやや右寄りを縦に走る点線(アラバマ州との州境)がそれにあたる。) 【被災範囲】 |
◆図1 カトリーナの被災範囲。 縦に伸びる水色の線がミシシッピー川である。被災地が必ずしもミシシッピー川沿いに集中しているわけではないことがわかる。 2005年9月16日「National Oceanic and Atmospheric Administration's Katrina site」のWEBサイトから引用。 |
【ニューオーリンズの位置】 ニューオーリンズは、アメリカ南部を横断する幹線高速道路(インターステイツ)10号(I10)沿いの拠点である。I10はニューオーリンズ市街を通過するが、ニューオーリンズを通過してさらにI10を進行する交通のためにバイパスのI12が市街を大きく北に迂回するルートに配置している。図2(上段)は簡素で狭い範囲に見えるが、この図の横幅は約250キロで、くだんのバイパスは約100キロの延長がある。首都圏においては圏央道(R468)、東海圏においては東海環状道(R475)に匹敵する規模である。ニューオーリンズ市街の北側に広大なポンチャートレーン湖があるために広く感じさせない。ポンチャートレーン湖は横幅60キロ、縦幅40キロで、琵琶湖の約4倍の広さがある。このあたりをスケールの目安にすればわかりやすいと思う。 (図2(中段)を見ると、ポンチャートレーン湖を横断する橋があることがわかる。当初は2車線対面通行だったが、交通量増大によりもう1本架けて4車線になった。この事情は琵琶湖大橋と同じだが、規模は約10倍である。しかし、ポンチャートレーン湖は浅いので橋梁としてはそれほど困難な工事ではなかった。アクアラインとは違うのだ。工事事情はともかく、やはり40キロの橋は圧巻だ。) |
◆図2 ニューオーリンズの位置。 上段が周辺図。横幅は約250キロ。 中段が市街地全域図。横幅は約100キロ。 下段がCBD(都心)地区詳細図。横幅は約18キロ。赤印は主な堤防決壊箇所。 中央を蛇行するミシシッピー川の北側はほぼ全域が水没した。この図の真ん中の「New Orleans」の文字が記している箇所が都心である。 |
さて、くだんのポンチャートレーン湖は、ミシシッピー川の洪水時の調整池の役割を果たす。本来は自然の造作としてこのような池はできあがるものである。大量の水が流れ込み、河口で海という堤防に進路を妨げられて、内陸部に水がたまるのだ。本流の流れが通常に戻っても、たまった水はなかなか退かず浅い湖として残る。ポンチャートレーン湖は元々天然だが、護岸工事が施され、ミシシッピー川本流と湖を結ぶ川はニューオーリンズ市街を貫通する運河に変えられた。 水のコントロールはほぼ人の手で制御されていると言っても良いだろう。 調整池は日本において大規模なものとして、利根川の渡良瀬遊水池がある。河口ではなく、河口から約100キロ上流の栃木県に配置されている。(図3を参照。) 利根川本流の北側に支流の渡良瀬川を介して、遊水池に水をためる。規模はポンチャートレーン湖の約80分の1と小さいが、関東平野の中ではかなり広い空き地である。ポンチャートレーン湖は普段も水をためているが、渡良瀬遊水池は広大な河原である。 |
◆図3栃木県藤岡町渡良瀬遊水池。 横幅は広いところで約4キロ、縦幅は約8キロ。 |
ニューオーリンズが水浸しになった映像を連日報道していたが、ミシシッピー川の本流の堤防が大規模な崩壊をしたわけではない。堤防が崩壊したのは図3(下段)のように、ミシシッピー川と調整池のポンチャートレーン湖を結ぶ運河や、ポンチャートレーン湖につながる水運用運河の築堤が崩壊したのだ。水運用運河は、東京、大阪など日本の多くの都市に存在している。すでにその役割は道路に変わっているが、構造物の多くはそのまま残っている。ニューオーリンズは縦横に運河が配置されている。CBD(都心)は埋め立てられて高速道路などに変わっている。まさに東京、大阪と同じである。おだやかで浅く広大なポンチャートレーン湖につながるこれらの運河が洪水を引き起こすことは誰も予想していなかっただろう。 報道映像では市街地全面が水没している模様を見ることができた。報道でも言っていたことだが、市街地は水面よりも低いのだ。高架や築堤で高いところに配置された高速道路だけが、かろうじて水没を免れたのだ。 【高速道路の通行規制】 |
◆図4 ニューオーリンズ交通情報カメラの作動していない旨を伝える案内。 2005年9月8日「LOUISIANA DEPARTMENT of Transportation & Development(DOTD)」のWEBサイトから引用。 |
ニューオーリンズの高速道路は先述のように本線は水没していない。そこで図形情報を確認してみると、緊急車両専用に規制されていた。(図5を参照。) 市街が水没している状況では当然の措置だろう。 この規制図を見たとき、阪神淡路大震災の復旧中の神戸における交通規制図を思い出した。このときは高速道路が崩壊していたので、さらに複雑な規制が施されていた。規制が緩和されたのは高速道路が部分復旧した半年後だった。ニューオーリンズはどのくらいかかるのだろうか。 |
◆図5 |
【さいごに】 「災害は忘れたころにやってくる」と言われている。本当にそうだろうか。少なくとも当方はこどものころから災害は忘れなかった。災害を忘れるのはマスメディア固有のことではないのだろうか。当方は道路に関心があるので、東名高速道路が全通した日とか、アクアラインが開通した日、もっと細かい首都高速中央環状線に清新町出入口が追加された日なども把握している。しかし、これは特殊であると自覚している。 台風、地震、火山噴火、津波などの大規模な自然災害を、芸能人の浮いた話と同じレベルで忘れてしまうのは間違いだと思う。有史以来、数多くの自然災害に遭遇してきたが、記録はあいまいなものが多い。情報収集が難しく、記録メディア、記録機関も必ずしも政府主導ではなかったころは仕方がない。各種メディアが進化した現在はきちんと記録し、公開し、分析すべきではないだろうか。いつまでも自然災害に対して迷信を信じる思考回路が存在しているのは人として恥ずべきことだ。 ところで、当方は自然災害の予測に拘るつもりはない。マスメディアの発信するものは、科学者に対して「いつ地震が起きるか」という質問で困らせて肝心な点をぼかしたバラエティ構成にするか、「地震は明日起こるかもしれない」とおどろおどろしい雰囲気で脅すスペシャルもの、そんなものばかりだ。どの災害で、どのような被害を被ったのか、またどの対処が有効だったか、それらを財産にする文化が良好な状態だと思う。かつて、長良川の堤防がきれたときにその下流の輪中地域は全滅したのではないかとあきらめたことがある。ここは当方の生まれた土地である。ところが、100年以上前につくられた輪中地帯を横断する低い築堤で洪水は止まった。当方は何度もこの築堤を越えたことがある。道路は築堤を少しくずしているが、ハンプ状になっていて視界も悪く、高速で走行するとジャンプする危険もあった。それでもくずさなかったことが被害を最小限にとどめたのだ。これが自然災害に対する知恵ではないだろうか。 予知に固執せず、被害を最小限に止める準備をする程度が人として自然に対する適切な態度ではないか。自然に対して無意味な崇拝の対象にせず、謙虚に共存しようとすれば良いのだ。 【補記】 (2005年11月9日、脱稿。) |