|
ペリフェリックは、ポルト・マイヨの北側ラウンドアバウトのすぐ北はテルヌ 通り をアンダークロスする。南側が広大なブローニュの森に隣接する緑地帯で あるのに比 べて、北は市街地の中を通過する。ペリフェリックの敷地には中央 分離帯を含めて緑 化する考えはない。確保した道路用地いっぱいに道路を設置 している。堀割の側壁も 傾斜のないカミソリ型である。それでも、多くの区間 はかつての城壁の跡地に建設さ れたので、元から帯状の公園になっている。 ポルト・マイヨの北は、その帯が薄くな っていたので、ペリフェリック建設 時に公園は消滅した。それでも市街地が近接する エリアでは生活環境を保持し ている。ポルト・マイヨからジャン・ジョレス通りと交 差するポルト・ド・ク リシーまでの約3キロが堀割とトンネルが連なる構造である。 クリシーからの 北部区間は市街地の密度が薄くなり、住宅地から準工業地へ変わるた め高架構 造になる。 |
|
テルヌ通りにはペリフェリックの出入口は接続していない。右側の縦方向にのび るの は、ペリフェリックの内側を並行に周回する一般道路である。テルヌ通り と交差する あたりでは、グビヨン・サン・スィール通りと呼ばれている。正確 にはこの通りはポ ルト・マイヨ東側ラウンドアバウトに接続する通りの名称で ある。ポルト・マイヨを 長いトンネルでアンダークロスする区間は補助道路の 扱いになっている。名称は利用 実態には関係しないが、せっかく周回してい て、ほとんどの放射道路と立体交差にな っているのに、通過するそれぞれの地 区における街路名になっている。 たとえば、環七通りが、大森通り、馬込通り、千束通りと次々に名称を変えて いっ て、葛西までに30くらいの名称の区間に分割されていたら違和感を覚え るのではな いだろうか。環七通りの全区間を周回利用するリンクはほとんどな いだろう。各区間 で利用実態は異なるだろう。青戸と葛西の間は新船堀街道で も良いかもしれない。慣 れてしまって何も感じないが、環七通りというような 大げさな名称の方が相応しくな いのかもしれない。だいたい環七と名付けられ ているのに、その内側に6つの環状道 路が整備されているわけではない。あく までも「7」は計画書における机上の空論の 産物なのだ。 |
|