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【5 近畿自動車道】 1976年3月22日に門真ICと東大阪北ICの間が開通し、1983年12月 7日に東大阪北ICと東大阪JCTの間が開通して阪神高速東大阪線が接続した。こ のときは阪神高速環状方面のみの接続で、水走方面は阪神高速本線も未開通だった。 水走方面への亘り線が開通したのは1987年3月4日である。このときは水走Rま でで、第二阪奈道路は未開通である。 1987年3月3日に東大阪JCTと八尾ICの間が開通し、1988年3月17 日に松原JCTまで開通した。この時点で第二環状線区間が全通した。近畿自動車道 は吹田JCTから順に開通区間を南下させていったのだ。第二環状線区間ではないが 吹田JCTと門真ICの間が開通したのは1970年3月1日で、この区間だけが1 970年開催の大阪万博に間に合った。それから全通までに28年もかかっている。 近畿自動車道は全線で27.5キロの短い区間の路線で、大阪中央環状線の中央部に 道路用地を確保していたにしては長い期間を要した。 |
◆航空写真7 計画線 (大阪市鶴見区緑地公園)と門真JCTの間 近畿自動車道 門真JCTと(東大阪市西岩田2、3)の間 |
2003年3月30日に第二京阪自動車道※の巨椋池ICと枚方北ICの間が開通 した。巨椋池ICの北側に直通する京都高速道路の工事も順調に進行している。順次 開通延長を伸ばして近いうちに門真JCTに到達するように見えるが、そうでもな い。枚方北ICの南側は大阪に近づくほど工事の進行が鈍ってくる。 門真JCT付近 は大規模な区画整理で道路用地を確保しているが、まもなく設計レベルで未確定の区 間になる。門真市、寝屋川市、交野市には本体工事に着手できていない区間が多い。 交野市の丘陵部を越えると枚方市津田山手の広大な道路用地が現れ、ほどなく開通区 間端部の枚方北ICである。つまり、第二京阪自動車道は、全区間開通の目処がたっ た上で部分開通したのではなく、着手しやすい区間が開通したのである。したがっ て、門真JCTに第二京阪自動車道が到達する時期は不明で、かなり先になると考え られる。 淀川左岸線3期は、門真JCTを経て第二京阪自動車道が直通するかたちになる。 第二京阪自動車道が早期に門真JCTに到達するならば、すでに用地確保済みの花博 通の内環万博口まで淀川左岸線3期の一部として先行着手される可能性もあるだろ う。しかし、現状ではこの可能性は低い。 ※第二京阪 第二京阪は、正確には「第二京阪道路」と呼ばれているが、道路構造は高速道路な ので本報告では便宜上「第二京阪自動車道」と記す。自動車道という称号は高速自動 車国道だけに記されている。第二京阪は一般有料道路なので「道路」なのである。 財団法人高速道路技術センター発行の冊子「EXTEC No.67」(2003 年12月1日発行)によると、2003年10月時点の第二京阪自動車道の枚方北I Cと門真JCTの間の工事進捗段階は3から6の間になっている。工事進捗段階は下 記の通りである。 1:概略設計 2:路線測量 3:設計協議 4:詳細設計・幅杭 5:用地買収 6:土木工事 7:舗装工事、施設工事 進捗段階だけでは開通時期は予測しにくいが、目安にはなる。段階7ならば1年以 内に開通すると言えるが、6以下はケースバイケースで断言しにくい。当方は全区間 の段階が5以上ならば最速で3年以内、段階4は5年以内に開通すると考えている が、段階3以下は未定として開通時期は考えないことにしている。 したがって、第二京阪自動車道が門真JCTに接続する時期は、予測レベルでも記 すことができない。 2004年3月現在、門真JCTの本体工事は何ら実施されていない。ところが、 ほんの一部だが構造物が準備されている箇所がある。(◆写真6を参照。) |
◆写真6 近畿自動車道、第二京阪自動車道、門真JCT予定地。 花博記念公園鶴見緑地(緑地公園)上空から枚方方向をのぞむ。 (高速道路調査会発行「高速道路と自動車」2003年2月会報から引用。) |
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