植田IC(インターチェンジ)は、名古屋市天白区で建設中の東名阪自動車道のイ
ンターチェンジである。2005年3月開催の愛知万博までに開通させるべく鋭意建
設が進行している。一見単なる変形ダイヤモンド型に見えるが、名古屋地区の高速道
路ネットワークにとっては極めて重要な施設になる。また、東名阪自動車道本線が半
地下構造でインターチェンジは地表への斜路で連絡される。このような構造では、一
般的に地表を掘り下げて本線を施工するが、植田IC付近はすでに掘り下げ済みであ
る。暫定供用中の一般国道が地表にあたるが、本来はこの位置が東名阪自動車道本線
になる。つまり、植田ICの施工は、現状の地表が半地下の高速道路になり、その上
に新たに設置されるフロアが地表になる。
本報告では、植田IC施工経緯について、2003年以前、2003年(現在)、
2005年(植田IC完工時)、2005年以降の4つの時期に分けて記す。
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植田IC完成イメージ図。
(国土交通省中部支社東名古屋工事事務所WEBサイトから引用。)
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【過去(2003年以前)】
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◆航空図1
植田IC西側のR153予定地南側に新池が見える。R302の左側(西側)を平
行して流れる植田川は堤防のない自然河川のままになっている。撮影当時はもちろん
名古屋市には編入されていない。
(1947年11月7日撮影。国土地理院WEBサイトから引用。)
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天白区は名古屋の東端に位置し、天白村から1960年4月5日に名古屋市に編入
された。当初は昭和区だったが、1975年2月1日に天白区に分区した。当時まで
はなかなか市街化が進行していなかったが、1978年10月1日に地下鉄鶴舞線が
八事から赤池まで延長されたことを契機に一気に市街化が進行した。特に天白川と植
田川に挟まれた丘陵地の区画整理事業は雑木林の原風景を留めないほど大規模なもの
だった。
元々天白村は、飯田街道沿いの細長い市街地を挟むように農地が広がっていた。名
古屋市に編入後はすべての農地だけでなく、利用されていない自然林の丘陵地を含む
全域が区画整理対象になった。
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◆表1
植田IC付近土地区画整理一覧。
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交通ルートとしては2車線の飯田街道(旧R153)が貫通するだけで、鉄道もな
かった。ところが、名古屋市に編入されたころにはすでにR153の拡幅だけでな
く、そのバイパスや、さらに直交するかたちで名古屋環状2号の構想が提起された。
名古屋環状2号(R302)は、名古屋市を周回する高規格幹線道路で一般道路だけ
でなく自動車専用部(高速道路)を併設する画期的なものだった。まあ、当初はハイ
ブリッド構造ではなく広幅員の一般道路として計画されていたのだが、区画整理によ
る道路用地確保が具体化するころには、ほぼ現在の道路構造に固まっていた。いずれ
にしても道路用地の幅員は変わらないので、区画整理は計画変更されることなく進行
した。
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