名古屋高速道路には、かつてとてもユニークな区間があった。1978年に現在の
※高速3号大高線が部分開通し、しばらくは放射線1本だけのシンプルな構造だった
が、1986年にもう1本の放射線となる現在の※5号万場線が開通した。当時、こ
の2本は接続されていなかった。都心環状線区間の建設が遅れていたため別々の区間
として機能していた。連続走行の便宜のため乗り継ぎ制度が実施されていたが、それ
でも不便で、現在のように交通集中起因の渋滞が日常化することはなかった。
※「現在の」
敢えて紛らわしい表現をしているが、これは当初の路線番号と現在の路線番号が異
なることによる。名古屋高速道路は縦2本、横1本を軸とする構成で、横1本を1
号、縦2本を東から2号、3号としていた。開通当初もこの路線番号が採用された。
縦1本東側の南半分と横1本の西半分だけが開通していた期間は、これで何ら問題は
なかった。ところが、1995年に時計回り一方通行の都心環状線が全通し、縦2本
東側の北半分も開通すると、都心環状線から放射方向に高速2号線が2本存在するこ
とになり、俄然わかりにくくなった。この機会に都心環状線を「R」として、縦2本
東側の北半分から時計回りに計画区間(現在は工事区間)を含む6本の放射線を連番
にした。
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名古屋高速道路の路線番号の変遷
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名古屋市はほかの政令指定都市に比べて市街地の一般道路の幅員が広い。都心部は
40から50メートルの8車線以上の幹線道路が碁盤目状に配置されている。有名な
100メートル道路は、中央部分約60メートルが長い公園になっているが、残りの
幅員でも十分な広さである。(区切りが良いので100メートル道路と呼ばれている
が、実は多くの区間が110メートルくらいはある。)名古屋高速道路はこれらの道
路上に建設された。したがって、最も工期のかかる用地買収に手間取ることもなく、
単純に建設予算の配分の都合で建設が遅れたに過ぎない。名古屋高速道路は名古屋市
の自前の予算で建設されるので、首都高速や阪神高速のように国家予算で何とかして
いただけるものとは根本的に異なる。それでも都心環状線の建設は最優先課題であ
り、鋭意建設は進捗した。
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吹上連絡路開通記事
(1988年4月22日 中日新聞記事から引用)
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1988年4月26日、都心環状線の南半分が開通した。北半分は、東片端JCT で接続する楠線の道路構造変更や、名古屋城南側の環境への配慮のため同時開通させ ることはできなかった。(名古屋城外堀は、当地では屈指のホタルの生息地で、外堀 と平行する区間の構造や開通後の運用についての見直しが行われた。)ところで、都 心環状線は時計回り一方通行である。つまり、大高線南方向から万場線西方向へは今 回の開通区間で連絡できるが、逆方向は連絡できない。そこで、同時開通した東山線 の吹上R(ランプ)にUターンできる連絡路を設置して、放射線を利用して都心環状 線北半分の機能を補間させた。先述の100メートル道路の広い中央分離帯上に、高 速道路本線としては驚異的な半径20メートルのUターン路が設置された。しかも高 架から半地下への斜路途上である。長い下り坂の先でターンしてから長い上り坂を経 てUターンは完了する。
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吹上連絡路入口
正面のブースは料金所ではなく監視用。慣れないドライバーへ説明を行う目的で設置
されたが、程なく無人化された。それでも最後まで撤去されることはなかった。オー
バーヘッド型の構造物のせいで、急カーブ手前での減速効果はあったかもしれない。
(1988年4月10日 著者撮影)
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吹上連絡路
半径20メートル(R20)の吹上連絡路のほぼ中央区間。かなりきついバンクにな
っている。30キロの速度制限になっているが、高速道路本線を時速60キロ以上で
走行してきている車両のすべてが30キロまで減速できるとは思えないが、いくらき
ついバンクであってもR20を60キロ以上では走行できないだろう。特に車種制限
は行っていないので、長さ20メートル超の大型トレーラーもこのR20を通過する
ことになる。
(1988年4月10日 著者撮影)
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丸田町JCT方向から吹上連絡路をのぞむ。
左側の出口は、一般道路への吹上出口(現在の※吹上東出口)。
※「現在の」
開通当時は吹上で終点だったが、以東に延長される計画で、吹上Rは東方向からの
出入口も設置されるフルセットランプである。2000年12月11日に延長区間が
開通し、予定通り吹上Rはフルセットになった。このとき、東方向からの出入口が
「吹上西R」、西方向からの出入口が「吹上東R」になった。出入口の一般道路への
接続部はランプ名のとおりの位置「西」「東」にあるが、高速道路への接続部は逆の
位置「東」「西」になっている。当方にはわかりにくいが一般的にはどうなのだろう
か。吹上Rは方向別のランプがクロスする首都高速4号新宿線の永福Rのような構造
になっている。敢えて東西に名前を分けなくても良いかと思えるが、このランプが1
00メートル道路の方向別一方通行道路に接続していることに気を使った理由があ
る。広い中央分離帯を使ってどこでも容易にUターンできるので、どの方向から吹上
にやってきても高速道路のどの方向へも接続できる。同じランプ名で高速道路の異な
る方向に行けてしまうのはわかりにくいと考えたのだろう。
(1988年4月10日 著者撮影)
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吹上連絡路全景
(1988年4月22日
中日新聞記事から引用)
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吹上連絡路は、1995年9月19日に都心環状線が全通すると同時に閉鎖され
た。約7年半でユニークな高速本線はなくなった。この間に運用に支障が生じるよう
な大事故は発生しなかったと思う。
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