ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

パリ版環七「ペリフェリック」効果2



 さて、ペリフェリックはパリ市庁舎を中心として半径4、5キロで周回している 
(総延長は35キロ)。案外都心に近いところに位置している。そのため高速道路と 
のジャンクションは狭い土地でコンパクトにまとまっている。それでも全方向へ立体 
交差で接続して、しかもペリフェリックのやや内側を平行して周回している一般道路 
にも接続している。この周回道路は、各区間で名称が異なっているが連続しており、 
ペリフェリックの補助的な役割を果たしている。基本的には平面道路だが、主要放射 
道路とは本線のみが立体化されている。東京の環七通りのような道路構造である。
 コンパクトで複雑なジャンクションのうち、とりわけ複雑さが突出しているのが、 
東南に位置するベルシー(PORTE DE BERCY)である。ほかのジャンクションは基本的 
には直結型だが、ベルシーではタービン型になっている。常磐道の三郷ジャンクショ 
ンや新御堂筋の千里インターチェンジ、また今年度開通予定の京滋BPの久御山ジャ 
ンクションで採用されている形式である。4方向での全方向接続が一般的だが、ベル 
シーでは先述の周回一般道路との接続を含み5方向の接続になっているためより複雑 
になっている。道路構造に特別な関心がなければ、何度通過しても全貌は理解できな 
いと思われる。
 
  久御山JCT模型
 
  PORTE DE BERCY 模式図
 地上画像、空撮画像からPORTE DE BERCYを観察する。PORTE DE BERCYはタービン部 
分が東西約200メートル、南北約300メートルのほぼ長方形の区画に収まっている。
 
  PORTE DE BERCY 撮影地点
図中の番号は、画像番号。
 
 
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◆      画像1
PORTE DE CHARENTON
AVENUE DE PORTE DE CHARENTONの
ペリフェリックオーバークロス部から
PORTE DE BERCY方向をのぞむ。
(1993年11月6日 著者撮影
(以下の地上画像はすべて同条件))
 
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◆      画像2
GARE DE BERCY CONFLANSオーバー
クロスアプローチ部をのぞむ。
 PORTE DE BERCYの東側約1キロに広大な公園(BOIS DE VINCENNES)が広がってい 
る。このバンセンヌの森にかかるペリフェリックの区間は、2つのトンネルで抜けて 
いる。PORTE DE CHARENTONは、バンセンヌの森の西端にあたる。なお、画像1、2の 
右側の壁の向こうは墓地になっている。ペリフェリック沿道にはほかにも多数の墓地 
が点在している。
 パリ市は12世紀から城壁を設置する要塞都市だった。設置当時はシテ島を中心に 
した1平方キロ程度で、各時代で順次拡大していった。19世紀の最後の城壁跡が、 
1973年にペリフェリックに転用された。つまり、改めて道路用地を確保したので 
はなく、多数の公園、墓地などを含むグリーンベルトに道路を割り込ませた造りにな 
っている。PORTE DE BERCYの「PORTE」は「市門」という意味で、城壁跡であることを 
表している。
 
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◆      画像3
GARE DE BERCY CONFLANS(TGV
車両基地)オーバークロス部
BOULEVARD PONIATOWSKIからの
ペリフェリックをのぞむ。
(画像右側がPORTE DE BERCY)
 
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◆      画像4
BOULEVARD PONIATOWSKI※
のアンダーパス。
AVENUE DE LA PORTE DE CHARENTON
と立体交差。
※ペリフェリックと平行する周回
一般道路。
 この区間を含むセーヌ川橋梁
(PONT NATIONAL)から
 AVENUE DAUMESNILとの交差点
  PORTE DOREEまでの道路名称。
 パリの鉄道ターミナルは行き先により複数に分散している。ターミナル駅は終着都 
市の名称になっている。画像3の鉄道路線はリヨン駅に通じている。つまり、パリか 
らリヨンに向かう鉄道ということである。新宿駅を松本駅、東京駅を大阪駅と呼ぶよ 
うなもので、慣れないとわかりにくい。
 画像4はペリフェリックと平行する周回一般道路だが、案外交通量は少ない。交通 
渋滞情報のサイトでもあまり渋滞(赤)のサインは表示されない。交差点の立体化は 
施されているが、基本的には4車線の平面交差なので、高規格のペリフェリックに比 
べて交通容量は著しく少ないが、ペリフェリックとの親子関係をうまく発揮している 
のだろう。

続く