ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

中国自動車道VS山陽自動車道とラダーネット1



 第二東名高速道路の建設や、昨今の日本道路公団民営化に関わる諸々の話題によ 
り、高速道路の現状について多くの方の興味対象になってきた。多くは「無駄」を 
キーワードにした政治的なテーマであり、高速道路が体系的に詳細報道されることは 
ない。もちろん、交通計画や建設の分野では綿々と緻密な分析を行っており、その成 
果は公示されている。
 
 ◆図1
 中国自動車道(広島北JCTと山口JCTの区間)、
 山陽自動車道(広島JCT と山口JCTの区間)位置図。
 断面Aは、中国自動車道の六日市ICと鹿野ICの間、
 断面Bは、山陽自動車道の玖珂ICと熊毛ICの間で、
 おおむね、広島と山口の間を全区間通過する車両の占める割合の多い区間。
 便宜上、全区間通過車両の交通量測定区間とした。
 1995年1月17日の阪神淡路大震災で、神戸湾岸の阪神高速3号神戸線が崩壊 
し、関西と中国地方を結ぶ高速道路が山間を走る中国自動車道だけになった。このと 
き、湾岸地域と山間の中国道を連絡する道路の重要性に気づかされた。このように幹 
線高速道路を格子状に結ぶ構造をラダーネットワークと言う。通行止め区間が発生し 
たときに、そこを避けるようにカギ状に迂回するルートが設定できる。例えば、東京 
と横浜の(湾岸)区間では、首都高速湾岸線、羽田横浜線があるが、これら2本だけ 
ならばどちらかに予期せぬ交通障害が発生した場合には、周辺地域を巻き込む致命的 
な混乱を招きかねない。不完全なかたちではあるが大黒線が格子状を構成している。 
また、川崎線が部分開通している。これらが完全なかたち(全方向アクセス可能)で 
2本をつなげば最大効果を発揮するはずである。

 さて、長距離の都市間でラダーネットがすでに完成している区間がある。広島と山 
口の間の中国自動車道と山陽自動車道である。これら2本は、関西と山口という中国 
地方を縦貫する全体として考えても格子構造になっているが、関西と広島の間の中国 
自動車道は、全線通過というよりも中国山地の南側の小都市群や山陰地方へのアクセ 
スルートとしての性格が強い。この区間の中国道ルートは山間部に大きく迂回してい 
る。ところが、広島以西はおよそ40キロ以内の離れで2本が平行して山口JCTに 
至っている。
中国自動車道、山陽自動車道の開通経緯
 中国自動車道は、大阪万博開催直前の1970年3月に最初の区間(中国吹田IC 
と中国豊中ICの間)が開通し、順次開通区間を延長し、1983年3月に全通し 
た。開通ペースは早い。関西と九州を結ぶ唯一の高速道路を早急につなぎたいという 
勢いが感じられる。山陽自動車道は、中国地方を貫通する2本目の高速道路として、 
1982年3月に最初の区間(竜野西ICと備前ICの間)が開通し、順次開通区間 
を延長し、1997年12月に全通した。開通ペースは、中国道に比べると緩くなっ 
ている。これら2本の高速道路は、もちろん1970年以前に全区間で建設が決定し 
ていた。関西と九州を結ぶ高速道路を早急に完成させるという指令で、先に完成させ 
ることのできる区間として中国道が選択された。山陽道に比べて都市化が進行してい 
ない低い丘陵地帯であるため用地収用が楽で、構造もほとんどが低い盛り土になって 
いる。ただし、広島以西はきつい山間部で、トンネル区間が多く暫定2車線開通を経 
て4車線のフル規格での全通に至った。
中国自動車道、山陽自動車道の開通延長
 
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 中国自動車道
 千代田IC付近
(「高速道路と自動車」(高速道路調査会)
 1993年9月会報から引用)
 中国道は、吹田から広島までは、長大トンネルのないゆるいカーブが連続してい 
る。(北房ICと新見ICの間にきつい峠越えがあるが、ピークの短いトンネルだけ 
で前後はきついカーブの急勾配になっている。因みにこの区間の制限速度は60キロ 
である。)端部に大都市を控えているが、その途上は、一見赤字ローカル高速道路の 
ようだ。交通量は、大阪圏の神戸JCTまで(1日80000台から100000台 
程度)を別にすれば、関西圏の佐用ICくらいまではまあ多い(1日20000台程 
度)が、その先広島JCTまでは少なくなる(1日10000台程度)。それでも、 
このくらいならば赤字道路にはならない。ところが、広島から山口までは、1日20 
00台程度のローカル区間になっている。山口以西は、1日20000台なので、広 
島と山口の間だけが交通量の少ない特異区間ということになる。
 
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 中国自動車道
 広島北JCT
(「高速道路と自動車」(高速道路調査会)
 1994年2月会報から引用)
 中国道の広島北JCT以東の交通はどこに消えたのだろうか。これらの93%が広 
島道に流れている。広島圏を始終点とするリンクならば広島道に流れるのは当然だ 
が、それだけでもなさそうだ。山口やさらに九州方面へのリンクの多くも広島道から 
山陽道に迂回していると思われる。広島北JCTの線形もこのルート選択を促してい 
るかのように、広島道方面が本線になっていて、中国道での山口方面へのアクセスは 
分岐線を経ることになる。実は、道路案内板にも山口方面は広島道へ案内している。
 
先述のように中国道の方が先に開通(1983年3月)して、山陽道でも山口に抜け 
られるのようになったのは1992年6月である。広島道は、1985年3月に開通 
している。つまり、1985年3月から1992年6月までは、関西と九州を結ぶ唯 
一のルートが中国道であったにもかかわらず、広島北JCTで道なりに走行している 
と広島市内方面に行かされてしまった。関西からの中国道下り線をひた走ってきて、 
分岐直前でこの事実に気づき急な車線変更を行う車両があり、事故多発地点になって 
いた。

続く