ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

内陸交通拠点のアトランタ都市計画(道の川柳・森川晃)1



 
  <<< 
  アトランタ市位置図
 ジョージア州アトランタ市は、アメリカ合衆国の東寄り内陸部の中核都市である。
1996年のオリンピックで世界的に有名になったが、それ以前は、映画「風と共に
去りぬ」の舞台として知られていた。南北戦争までは、綿花栽培がさかんな大農場地
帯だった。戦後の奴隷解放政策や綿花産業のアジアへの依存により勢力は衰えてき
た。ところが、東海岸や北の五大湖沿岸諸都市の密度が高まり、また西海岸の隆盛に
より、全米を相手にするために東西南北いずれにも容易にアクセスできる内陸部の諸
都市に注目されるようになった。このような交通拠点都市では、広大な空港を持つテ
キサス州ダラスとジョージア州アトランタが代表的である。全米だけでなく世界を相
手にするCNNの拠点をアトランタに置いたのは、このような地の利を生かした先見
性によるものだ。
 
  <<< 
  アトランタ市全図
 アトランタの人口は約43万(都市圏(Vicinity)としては約314万)です。福
岡市と姉妹都市になっている。都市圏の広大なアメリカに併せて、北九州市や久留
米、佐賀までを含めた都市圏で考えれば、福岡市とほぼ同規模と考えられる。都市圏
内のメインアクセスは自動車で、通勤時間帯の慢性的な交通渋滞は激しい。これを回
避するため下記の手段が取られた。
 
  <<< 
 I20とI75、I85のジャンクション
 図中の番号は、以下の画像の撮影位置。
1 都心から4方向に鉄道を建設して、自動車から鉄道への移行を勧める。
  MARTA(Metropolitan Atlanta Rapid Transit Authority)を東西、南北の2
   路線建設した。
  これらは、1990年までにほとんど開通した。

2 新規の高速道路を建設する。
   (1)T(Interstate Highway)75南側から、アトランタ環状高速道路
          (T285:THE PERIMETER)への短絡路であるT675を新設する。
          (T75南側、郊外からT285までの区間の渋滞緩和。)
   (2)都心を南北に貫通する一般道路PEACHTREE STREETの北側の延長と
            して、T85と平行するGA(Georgia State Highway)13を新設
            する。(T85北側、都心からI285までの区間の渋滞緩和。)
     ほかに複数の区間があるが、いずれも1996年までにほとんど開通
          した。

3 既存の路線を改良する。


 1と2は世界の各都市で実施されているが、3は潤沢な道路建設予算がないアメリ
カ特有である。今回の交通アクセス改善は1996年のオリンピック※も見越してい
る。こうした機会に無理な建設ラッシュで都市の様相を一気に変えてしまうことが一
般的であり、3のような地味な手段は採用しないことが多い。ワールドクラスのイベ
ントで無理強いしない姿勢は見習いたいものだ。

  <<<
 I20とI75、I85のジャンクション
 線形変更模式図
※ 1996年のオリンピック会場がアトランタに決定したのは、1990年9月の
当方が滞在中のことである。もちろん、決定を見越してはいただろうが、1990年
にはほとんど実施済みだったことは、交通アクセス改善がオリンピックだけに起因し
ていない証拠である。オリンピックが決定してからあわてて無理なスケジュールと予
算でアクセス建設を実施する日本に比べると、たいそう合理的である。

  1964年 オリンピック  東京:首都高速、放射環状道路、東海道新幹線など
  1970年 万国博覧会    大阪:地下鉄、阪神高速、中央環状線、新御堂筋など
  1972年 オリンピック  札幌:地下鉄など
  1998年 オリンピック  長野:長野新幹線など
  2002年 ワールドカップ  新潟、仙台、大分:日本海東北道、仙台北部道路、
                                東九州道など

 札幌オリンピックまでに建設された交通施設は有効利用されていると判断できる
が、それ以降は果たして需要が追いついているだろうか。また、会場施設に関しては
省略しているが、壊すことを想定していないので多くが無駄になっている。アトラン
タオリンピックのメインスタジアムは閉会後、大リーグアトランタブレーブスのフラ
ンチャイズ球場に改造流用している。実は、会場用地は元々ブレーブス球場の敷地
で、オリンピックを機会に老朽化した球場を建て替えたということになる。とことん
合理的である。

続く