ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

ニューヨーク・ブルックリン橋




 2002年4月11日の当HP「日米道路比較」で、ニューヨークのブルックリン橋
のケーブル切断事故に関するコメントを掲載した。

当時は、編集部のインタビュー への回答というかたちで、(間違った回答ではないが)
情報の少ないやや不親切なも のだった。実は、HPに掲載されることを知らなかったの
でご容赦願います。今回、 この回答のバックボーンとなる情報を含めたかたちの報告を
させていただきます。
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   ブルックリン橋の位置図
 ブルックリン橋は、1883年に開通した全長1053m、中央スパン486mの 
つり橋で、ニューヨーク市のマンハッタン島とブルックリンを結ぶ、イーストリバー 
を渡る長大橋である。当時のアメリカはモータリゼーションへの過渡期で、自動車道 
だけでなく歩道、鉄道、トロリーバスの併用橋だった。瀬戸大橋(1988年3月開 
通)の100年以上前に道路、鉄道併用のつり橋が開通していたのです。その後、鉄 
道から自動車への交通需要変革にともない、1945年には鉄道とトロリーバス用の 
レーンが自動車用になり、6車線の自動車専用道路に変わった。ところで、ブルック 
リン橋は梁がトラス構造で、下路がすべて自動車道に変わったのであり、上路の歩道 
はそのまま残った。
(「橋」(特に長大橋)に関心のある方はとても多い。アメリカのサイトを確認する 
までもなく、国内サイトの検索でブルックリン橋に関する情報は容易に得られる。ま 
た、すぐれた書物もとても多いので、橋の一般的なプロフィールの記載はこのあたり 
で止めておきます。)

  ブルックリン橋全景。
 ワールドトレードセンター(タワー2)展望台から
 ブルックリン橋(手前)、マンハッタン橋(奥)をのぞむ。
 (1990年9月18日、著者撮影)
 ブルックリン橋の耐用年数は100年である。もちろん100年を経た時点で崩壊 
するというものではない。単に保証期間のようなものである。ケーブル切断が100 
周年の直前だったのは偶然だが、出来過ぎと思えてしまう。イーストリバー河口部で 
潮風の影響を受けたのと、1945年以降の自動車交通が想定をはるかに越える重交 
通だったことが原因と思われる。しかし視点を変えて、メンテナンス不備に起因する 
と考えるのが正解だろう。ニューヨークは華やかで世界の大都会代表のように見える 
が、実際には「作る」のが精一杯で保守をする余裕がない。
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  ケーブル切断事故後、通行止めに
  なったブルックリン橋の歩道。
(「高速道路と自動車」
  1981年11月から引用)
 ニューヨークは110年前にほぼ現在の都市の雛型ができた。その後、60年前の 
第二次世界大戦直後から公共交通から自家用車の時代を迎え、公共投資は鉄道から道 
路へ移行した。ほかのアメリカの都市に比べれば地下鉄の需要が多く、自動車一辺倒 
ではなかったが、周辺都市を含むきめ細かい高速道路ネットワークが計画され、19 
70年くらいまでにほぼ開通した。ブルックリン橋は、この高速道路ネットワークが 
計画される50年以上前に開通しているため、端部の市街化が進行していてうまく組 
み込めなかった。それでも、1969年にはマンハッタン側の取り付け部分にイース 
トリバー沿いに建設されたフランクリンルーズベルトドライブ(FDR)へ直結する 
ジャンクションが付加された。この接続で、ブルックリン橋の交通量はさらに増大し 
て寿命を縮めることになった。
 マンハッタンに着目したニューヨークのグローバルな高速道路ネットワークについ 
ては、別の機会に報告する。これは、「挫折」と「妥協」の記録である。