ヒマヒマヒマヒマモード東長崎外(国内)北海道

戦車兵神博行の札幌散歩6
『日本ハムファイターズ日本一優勝パレード』




『いよいよパレードが来る!』


 新庄劇場も劇的であった、北海道は日ハム一色になった。
ローカルの放送局はラジオ、テレビと日ハムの試合中継するようになった、さす
がに野球に興味の無い私も近くで試合をしている球団とその劇的な試合振りに日
ハムを応援するようになった。
『先頭のオープンカーにヒルマン監督が』


 そしてパ・リーグ優勝、日本一、アジア一と負け知らずの驀進ぶりだった平成
18年だ。
『ヒルマン監督のシンジラレナイを披露』


 流行語もヒルマン監督の『シンジラレナイ』が流行った、パレードでも『イ
チ、ニー、サン、シンジラレナイ』を披露してサービス精神旺盛だった、来て良
かった。
『手を振る田中幸選手』


 札幌で初めてのパレード、行かねばなるまい、11月18日の朝8時にすすき
の近くに陣取る、選手が通る道路はすでに観客が詰め掛けていたので反対側に行
く。気温は5度と寒く、雪がちらちら降っていた。
そんな中徹夜組も居たとか、警官や機動隊の姿が目に付く。
『続々とパレードは続く』


 パレード開始は午前11時頃だったが1時間前頃には道路は人で埋め尽くされた。
 寒かったが少し暖かくなった、太陽の陽が差すと暖かい、トイレに行くことも
出来ない。
『小笠原選手は二階建てバスに』


 当初紙吹雪の許可が警察からダメ出しだったそうだが、盛り上げるために不可
欠と許可された。
『小笠原選手の登場に歓声が一際大きくなった』


 日の出ビルから約1トンの紙吹雪が送風機で撒かれた。
近くのビルからも手製の紙吹雪が撒かれたが新聞を切った物だったりやたらと大
きい紙だったりゴミを撒いているようだった、近くの商店からだ。
『最期の侍、小笠原選手は巨人へ残念だ』



 長い指揮棒を持った警官が多分指揮官なのだろう、パレードの前にやたらと警
戒していた。
札幌消防音楽隊に先導されパレードが始まった。
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続く