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『札幌護国神社にある旧野砲兵第7聯隊の哨舎』
旧軍では自衛隊で言う『警営』を『衛兵』と言っていた。
任務は警営も衛兵も同じで、駐屯地営門出入者の監視に任じている。
『哨舎』とは営門(出入り口)に設置され歩哨の定位置である、しかし通常歩哨
は哨舎に入ってはならず許可が必要だった、厳しい雨雪の時のみ使用を許可さ
れ、15歩以上この哨舎から離れることを禁じられていた。
自衛隊の警営でも厳しい部隊では『駐屯地の顔である』として服装は戦闘服にア
イロンガしっかりプレスされ半長靴はピカピカ、そして歩哨の一般守則、特別守
則、自衛隊法、警営司令要望事項等の規則を覚える。
表門歩哨は冬でも手袋を禁止されていた、理由は挙手の敬礼の場合手袋したまま
では失礼なので、四六時中敬礼する表門歩哨は手袋禁止だった。
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『哨舎』
この哨舎は旧軍の第7師団の野砲兵第七聯隊の営門にあった哨舎を旭川の自衛
隊第2師団の協力のもと札幌護国神社境内に移設された。
平時でも衛兵や警営は実戦である、それだけに厳しい勤務だ。
私の経験では大きな駐屯地に配属になったら、余り厳しくなくかえって驚いた、
小さな戦闘部隊の駐屯している部隊と比べると本当に自衛隊の違いが良くわかる。
精強な部隊は警営隊を見れば良く解ると言うのは正しい見解だろう。
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『根室のトーチカ群』
北海道の道東沿岸にはトーチカが残っている。
写真の根室のトーチカは終戦間近の頃、日露戦争の満州軍総司令官大山厳元帥の
次男大山柏予備役少佐の指揮のもと築上されたトーチカ群である。この近くに納
沙布岬があり北方領土が見える。
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『トーチカ』
トーチカとはロシア語であるが、幕末頃からロシアの脅威にさらされて来た北
海道沿岸には幕末の陣屋跡も多数残されている。
話によると戦時中は今の状態のよな完全に露出した状態では無く砂に埋もれて
敵から隠蔽されていたと言うが面影はまったく無い。
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『トーチカ』
現地にはこれらのトーチカを説明する看板も保存に努める努力もされず荒れ放
題に任せているのが現状だ。
100年以上経過すれば歴史的遺産として見直しされるだろうか?
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『トーチカ』
当時どんな戦術で、トーチカ一つ一つがどんな目的と機能があったのかちゃん
と判明し記録されているのだろうか?。
今でも遅いくらいだが、きちんと調査し保存するなり、現地に説明板くらいは残
して欲しいものだ、でも金がかかるからと言って何もしないのがお役所だ。
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