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前にも取り上げたが、旧ソ連では軍隊や戦争を取り上げたミュージカル映画が数
多く作られ、その挿入曲がヒットして今日まで唄い継がれているケースがよくみ
られる。
唄うパイロットたち−魔女飛行隊のミュージカル映画『空の忍び足』
(Небесный тихоход)
独ソ戦勝利のすぐ後に作られた『空の忍び足』(Небесный тихоход、
1945)は、よく魔女飛行隊と呼ばれているソ連女性飛行隊を題材にしていてユニーク
なものだ。主題歌「出発の時」(Пора в путь-дорогу)と挿入歌
「我ら飛び回る鳥」(Мы друзья, перелётные птицы)は、
ロシアでは現在も軍のアンサンブルはもとより、小学生などにも愛国行事で唄われ
る人気曲。作曲したのは、ここで取り上げた軍隊ミュージカル映画『マクシム・
ペレペリッツァ』でも名曲「前へ進め!」(В ПУТЬ!)を作った大衆歌曲作
曲家のソロヴィヨフ−セドイ。独ソ戦中に軍歌の名曲(その多くが日本の「うたご
え運動」でも取り上げられている)をたくさん作った才気あふれる音楽家だ。
「出発の時」を女性パイロットたちが男性将校(そのうちの一人は自分たちの
飛行隊の司令官)と共に歌い上げるシーンは、とても明るくにぎやかで、アメリ
カのブロードウェイ・ミュージカル映画を彷彿とさせる。 |
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(参考映像−Пора в путь-дорогу)
♪♪
小雨の夕方、夕方、夕方
パイロットたちが「何もすることがないや」と
ため息をつくとき
私たちは飛び上がる
おしゃべりをしながら
大好きな歌を口ずさみながら
出発の時 道のりは遠くて、遠くて、遠いけど
愛する家を飛び越えて
翼の下には 揺り籠に入った宝物
自由と解放をめざす私たち
課せられた義務と目標は重いけど
ただ、ひたすら進むだけ
それが私たち、私たちの思いと仕事のすべて
♪♪
唄っている女性パイロットたちが乗るのは、複葉で低速の練習機U-2(Po-2と
もいう)。1920年代末からソ連で使われた二人乗りの軽飛行機で、初等飛行訓練
から連絡、郵便物空輸に使われていた。独ソ戦(1941〜1945)が始まると、エン
ジン音が低く、発動機停止状態で無音滑空もできるような操縦性能が買われて夜
間軽爆撃機として使用されるようになった。
旧ソ連では、1930年代から民間飛行クラブで女性パイロットが多数生まれてお
り、記録飛行挑戦のつわものがいた。そのうちの一人、女性による長距離飛行世
界記録保持者のマリーナ・ラスコヴァ少佐がスターリンのお墨付きをもらって独
ソ戦開戦後、「女性パイロットと整備員による空軍飛行連隊創設」を呼びかけ
た。多数の女性パイロットが志願し、中距離爆撃機連隊(ペトリアコフPe-2双発
爆撃機で編成、司令官ラスコヴァ少佐)、戦闘機連隊(ヤコブレフYak-1戦闘機
で編成)、夜間軽爆撃機連隊(U-2複葉機で編成)の3つが創設された。
1942年夏から実戦配備されたこれらの通称、魔女飛行隊は戦線で華々しい活躍
をするようになる。スターリングラード方面で防空任務についた戦闘機連隊で
は、リトビャーク中尉やブダノヴァ中尉といった敵機撃墜5機以上のエースパイ
ロットが有名になったが、U-2軽爆撃機連隊もドイツ軍に対する効果的な夜間攻
撃を実施し、敵側に「安眠妨害」として忌み嫌われた。 |
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さて、話を映画に戻すが、主人公は戦闘機のエースパイロット、ブロチキン少
佐。体当たり攻撃でドイツ爆撃機を撃墜した後、パラシュートなしで6000メート
ルを降下して奇跡的に助かり(荒唐無稽な話のようだが、独ソ戦時にコーカサス
山地の積雪斜面に同様の条件で落下して助かったソ連パイロットの実例があ
る)、勇気と幸運を称えられて病院療養した後、女性飛行隊の司令官に任命され
てしまうところからストーリーが展開する。
ブロチキン少佐を戦友たちが見舞うシーンで歌唱されるのが、「我ら飛び回る
鳥」(Мы друзья, перелётные птицы)である。 |
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♪♪
友よ、我ら飛び回る鳥には
ひとつだけ 悩みがあるんだ
地上で 女性と付き合うのが苦手なこと
だって 空には女の子はいないもの
だから だから だから我らパイロットは
我らの空、空こそが我が家
だから 第一の仕事は 飛行機
え? 女の子はだって? それはまた後にするよ!
♪♪
戦闘機パイロットとして戦うことを男の仕事として愛しているブロチキン少佐
は、女性軍医から「あなたは落下した後遺症があるから、戦闘機のような速い飛
行機はムリ。低速のU-2部隊に転属させます」と申し渡され大ショック。その
上、司令官として赴任したU-2夜間軽爆撃機連隊で出迎えたのが、かわいらしい
カチューシャ上級中尉をはじめとする女性パイロットばかりなのを見て、自分が
歌の文句とは正反対の世界に落とし込まれた気分に‥。
しかし、カチューシャ上級中尉らと夜間出撃に出かけるや、優秀な働きぶりに
U-2複葉機や女性パイロットたちに対する評価を変えたブロチキン少佐は、上級
司令部が示す課題に対して「それなら我が連隊のU-2にピッタリの任務です」と
積極的に志願し、女性パイロットたちと数々の武勲を立てることに。最初の参考
映像の歌唱シーンは、武勲を立ててささやかな祝宴を張っている魔女飛行隊へ激
励に来たブロチキン少佐のかつての戦友である戦闘機パイロットたちに、女性パ
イロットが自分たちの飛行任務の特性を唄って教えるといったところなのだ。実
は、この歌唱シーンの後、女性パイロットたちが見事なロシアンスタイルのタッ
プダンスを輪舞する場面となり、この映画最大の見所となっている。もちろん、
我が国ではDVD入手が難しいのであるが、ロシアでこの映画を全部動画鑑賞でき
るサイト(下記)があり、アクセスすれば日本でも見られる(字幕はないが)。
YouTubeでも分割して動画がアップされている(77分間−YouTubeでは、映画タイ
トルのНебесный тихоходをコピーして貼り付ければ検索できる)。
(「空の忍び足」鑑賞サイト)
この映画、小作りではあるが、戦闘機ファンなら実機のヤコブレフYak-3戦闘
機やラボーチキンLa-7戦闘機が登場するので必見だ。しかし、これらに伍して活
躍する小さくて頼りなさげなU-2複葉機に親しみがわくのは、はつらつとした女
性パイロットたちへの感情移入の故か。
『空の忍び足』は、とかく犠牲が強調されがちな旧ソ連の戦争映画にかかわら
ず、映画の中で誰も戦死しない。激しい戦争が終わった直後に作られたためか、
もう人の死にうんざりしていたのではないだろうか。もちろん、ミュージカル・
コメディの作風もあってのことだが。
実際の独ソ戦では、魔女飛行隊の戦死者は決して少なくなかった。先に名をあ
げた女性戦闘機パイロット、リトビャーク中尉もブダノヴァ中尉も戦死してい
る。女性飛行隊創設提唱者のラスコヴァ少佐は、1943年に搭乗していたPe-2爆撃
機の不時着事故で死亡した。
U-2夜間軽爆撃機連隊でも、多くの女性パイロットがドイツ軍の対空砲火で撃
ち落とされて戦死している。筆者は、映画中の元気な輪舞シーンを見ると、戦い
の中で青春を散らしてしまった女性パイロットたちが“あの世”から笑いかけてく
るように思えてしまう。女性が手に兵器をとって戦った国が、ロシアなのだ。戦
いと死は、背中合わせだ。 |
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(参考映像―Мы друзья, перелётные птицы)
「カタカタカタ」という軽快なエンジン音により、「ミシン」というあだ名が
ソ連兵士たちによって付けられ親しまれたU-2は、翼下に「宝物」=いくつかの
小型爆弾を搭載し、夜間、目標上空手前でエンジンを切って無音滑空しドイツ軍
陣地に突然爆発を引き起こした。低空を這うように飛んでくるU-2の迎撃はむず
かしく、ドイツ軍将兵を大いに悩ませその士気に悪影響を与えたという(映画の
タイトル『空の忍び足』は、U-2のこうした運用方法から由来する)。 |