戦争・軍事 |東ヨーロッパ

サバ川鉄橋攻防戦、敵味方両軍との絆




ボスニア戦争初期、1992年10月4日、スラボンスキーブロード。
日没を待って、クロアチア軍によるサバ川鉄橋偵察作戦が開始された。
通称「ワンオーエイト」でしられていた第108旅団である。
英国人、ドイツ人、フランス人、スウェーデン人などの傭兵部隊を持った部隊で
ある。

傭兵部隊があることへの批判を避けるため、この後、第108旅団は解隊されて、
ボスニア戦争の中で、第9旅団となって生まれ変わる。1+0+8=9だ。
鉄橋渡河中、真正面から銃撃を受けた。
こちらに向かって発砲するセルビア軍銃火の炎がはっきりと見える。
射撃音と連射速度から、傭兵たちは「14,5ミリだ」と叫んだ。
ほんとは、もっとでかく見えたのだが、写真で撮ると小さい。
シャッタースピードをもっと長くすげきだったかにゃ。
でも、さすがに真正面から撃たれながらの撮影だと、臆病になってしまった。
渡河偵察部隊の先頭を進んでいたドイツ人傭兵は、落ち着いた表情で、遮蔽物の
コントリート版裏に隠れていた。カトケンは2番目を歩いたので、彼の落ち着い
た行動を目の前で見ていて、あまりあわてふためかずに済んだ。

この偵察行きでは、先頭グループよりも、後方のほうが撃たれ、2人が戦死した。
カトケンは、跳弾を受けて足の骨にヒビが入って、5日間歩けず入院、15日間
のリハビリというカッチョ悪いことになってしまった。6人の中で、無傷だった
のは、先頭のドイツ兵だけだった。
この戦闘の2日後に、鉄橋は爆破された。これを撮影したのは、爆破の5日後。
14,5ミリ重機関銃を撃っていたセルビア軍側へは、1年半後、1994年3
月下旬に訪問し、この10月4日の銃撃についてインタビューしたところ、この
4人が交代任務に就いていて、この中の誰かが射撃したのだという。自分が渡河
部隊にいて負傷したことを言うと、セルビア兵たちは「闇夜の中から人影がいき
なり見えたんで、オレたちも怖かった」と。

ラキアを飲みながら喋っていくうちに、
あの日の同じ緊張の空気の中にいた者同士という仲間の絆が生まれた。
敵味方に分かれていた仲でもあるが、日本人戦争見物人という立場から見ると、
どちらも味方でも敵でもない。同じ緊迫シーンの中を体験した戦友だ。
その後、この部隊との交流は、1995年1月まで続いた。

続く