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戦車兵神博行の自衛隊チェック118

(営内生活 新兵時代)


『72戦車連隊の隊舎』


 新隊員の後期教育を終了し、戦車中隊へ配属された。
前期後期の新隊員教育を終えていよいよ実戦配備になった、今までは同期の者達
ばかりの同じ2士の階級の者ばかりであったが、今度は先輩ばかりの世界へ行く
のは不安もあった。
私の同期は前期教育から同じ営内班だった者と私の二人だけが同じ中隊に配属さ
れた。
生活の場である、営内班に入ると驚いた、全て2段ベットで一部屋16名もの陸
士が生活していた。
かろうじて先任士長のベットだけがシングルだった、先任士長は4任期目の古参
陸士長だった。
『戦車連隊時代過ごした隊舎』


 大半が陸士長で4任期、3任期、2任期目と同じ陸士長でも序列も補職も違
う、装填手の士長も居れば操縦手の士長も居る、整備班の者も居る。少し先輩の
一士もいたが少数だ、私が部屋に入るのと同時に辞める一士がいた、結構つらい
自衛隊生活を送っていたようだ。
 そりゃそうだ、先輩ばかりの営内班で小間使のようにこき使われる毎日なのだ
から楽しい訳がある筈がない。
それに自衛隊にはイジメが公然とある、旧軍からの伝統か?
『隊内クラブ』


 私は2段ベットの上で頭には針金で洗濯を干すようになっていた。
起床して起きると先輩のパンツや靴下が顔に当たる。
当時の連隊は充足率100%で隊員が多かった、いろんな地域から来ていたし、
いろんな経歴の人達が居た。
詳しい話を書くのは辛いので止めておく、私のたった一人の同期は配属後直ぐに
行った別海から帰った後の休暇で脱走し退職した。
他部隊に配属になった同期も脱柵や脱走、退職と一年もしない内に減った。
『北恵庭駐屯地の営門』


 私がこの駐屯地に初めて来たのは新隊員の後期教育で配属になった時だ。空に
は航空自衛隊のF−15が射撃してブゥゥーンとバルカン砲の射撃音とエンジン
音がうるさく班長の声も聞こえなかった、「戦場に来た」そんな感じがしたものだ。
 18才から20代前半まで過ごした駐屯地だ、嫌なことも多かったし楽しいことも
少しはあった、いろんなことを学んだ駐屯地だ。
それに私とは縁が無い訳では無い、私の叔父もこの駐屯地の同じ(72戦車連隊の
前身部隊)部隊にかつて居たこともあった、その時には亡くなっていたが。
『72戦車連隊第2戦車中隊』



 小さな駐屯地だが当時は第一戦車群、第72戦車連隊、第73戦車連隊が駐屯して
いて、戦車部隊のメッカだった。
当時日本唯一の機甲師団である戦車連隊の戦車乗員として誇りもあった。 私が
配属された中隊の事務室前の壁には「持続走優秀中隊」「冬季戦技優秀中隊」
「通信優秀中隊」「銃剣道優秀中隊」「戦車射撃優秀中隊」の看板が掲げられて
あった。
特に「冬季戦技」は2群時代から10年以上優勝しているスキー中隊だった。

続く