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『新隊員後期教育で大型特殊免許取得のため60APCで操縦』
私が初めて操縦の経験なるもののをしたのは新隊員の後期教育だった。そして生
まれて初めて動かした車が60式装甲人員輸送車だった。通称60APCと呼ばれ
ている。
新隊員の後期教育で72戦車連隊新隊員後期教育隊に配属になり、
東千歳駐屯地の滑走路での出来事だった。 |
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『新隊員の操縦訓練』
戦車の操縦はやはり新隊員の後期教育だった。
74式戦車を演習場で少しだけ走らせただけだったが…。
その時の記憶はあまり鮮明に残っていない、印象が薄かったのか…。
操縦席に座り、操作方法を助教から習ったのを覚えている。
メインスイッチを入れ、スターターを右手で押すと言われた。 |
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『東千歳駐屯地の滑走路を走る74戦車』
曹学出身の三曹だったので「俺が習ったのは駒門だから連隊と違うかも知れな
いから中隊に配属なったら確認するように」と言われた。
右手か左手かなんて関係あるのかな、なんて思いながら聞いていたのを覚えている。
私はその通り最期まで右手でスターターを押した、冬になればバーナーのスイッ
チも押す必要がある、左手でバーナースイッチを押すとスタータースイッチを同
時に押す場合「この方が良いと」と思ったものだ。 |
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『71戦車連隊の90式戦車』
私は操縦のセンスが無いと言われた、中隊に配属になっても操縦する機会など
中々巡ってこなかった。後輩が射撃の帰り操縦させて貰ったと聞くと嫉妬したも
のだった。
しかし余りに長く操縦していないと、操縦の仕方を忘れてしまう、身体で覚える
程習ってなどいないのだから。操縦訓練をする頃には操縦の仕方などすっかり返
納していた。 |
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『72戦車連隊の90式戦車』
センスが無いと決め付けられると戦車の操縦をさせて貰えない。
誰だって危険な奴の操縦する戦車になど乗りたく無いのが人情だ。
ベテランの現役操縦手の陸士長と中隊の陸曹が操縦訓練の指導をしてくれたが、
不整地で凹凸の激しい道を走るのは大変だ、ギアチェンジすら上手に出来ない、
いや変速なんて出来れば良い方だ。
下手をすると吹かし過ぎて黒いエンジンオイルを排気管から噴射する者までいた
(私のことでは無い)。車長の手には棒が握られていた。 |
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『単車訓練をする74式戦車』
エンジン音の大きい音とパワーに圧倒され、戦車を乗りこなすより戦車に乗せ
られている感じだ。
各計器類の正常な数値を覚え、整備も覚えなければならない。
しかし操縦を少し覚えると装填手として乗っていても操縦手の操縦を身体で感じ
エンジン音やギヤチェンジの振動でいろいろ勉強になった。 |
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『第一戦車群の74式戦車』
戦車連隊では春になる前頃に前年度の予算を使い切るために燃料消費のための
操縦訓練があるひたすら演習場を走りまわる、この訓練が無かったら私は操縦手
にはなれなかっただろう。
ちなみに砲弾も消費も行われる、私はキャリバー50の射撃が好きだった。 写真
1702『74式戦車』
戦車を動かすにはディスパッチ(運行指令書)が必要だ、走行キロや運行前の
点検や整備、燃料、オイルの補給等を書き込む。
走行キロは飛行機のパイロットの飛行時間と同じで賞詞の対象になる。
しかも戦車は装輪車の走行距離の3倍になる、1キロ走れば3キロ走ったことに
なる、しかし戦車だけで無事故無違反1万キロの5級賞詞は中々貰えない、実際
に戦車を3千キロ走ってもディスパッチに名前と走行キロを記入しないとカウン
トされないのだから。 |