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戦車兵神博行の自衛隊チェック77

(北海道地区補給処苗穂補給支処)


『苗穂の営門』

『営門には踏切とかにあるアレがあった』


 札幌から千歳へ向かうJRの車中から苗穂駅を越えた当たりに見えるのが苗穂
分屯地だ。ここに駐屯するのは陸上自衛隊北海道地区補給処、苗穂補給支処だ。
自衛隊には部隊と機関があるが、ここは機関である。

 札幌には北部方面総監部のある札幌駐屯地を始め、11師団の真駒内駐屯地、
北部方面航空隊の丘珠駐屯地、自衛隊札幌病院の豊平駐屯地、札幌駐屯地の飛び
地の月寒送信所等がある、苗穂には今回初めて行った。
『旧陸軍糧秣本厰本部、戦後一時期北部方面隊総監部も入っていたとか』


 営門に警営隊が警備しているのが普通だが、ここは人員も少ないせいもあるの
か職員の警備が警営所に居た。ここに到着して驚いたのが人が少ない、『本当に
開放しているの?』と疑ってしまう程だ。

見る所も無いのかなとがっくり、旧軍時代から使用されている建物に入ると休憩
所になっていて補給処の活動内容を紹介する写真を展示していたり、イラク派遣
の広報ビデオを流していた。
この補給支処は施設職種の隊員が多いが、北海道の施設部隊の器材を修理したり
する機関だ。

 この建物は戦前には陸軍糧秣厰本部で使用され戦後警察予備隊の総監部が入っ
ており『札幌駐屯地』と呼ばれていた時代が少しだけあった。
『旧軍時代から使用されている倉庫、手前は指揮官のお立ち台』


 この分屯地には北海道の軍事施設遺産に選ばれた旧軍の倉庫がある。  
現在も倉庫として現役で使用されている建物で、明治42年建造の倉庫と明治
43年建造の倉庫がある。
『明治時代に建築された倉庫群、今も現役だ』


 戦前は陸軍糧秣本厰札幌派出所あり戦後米軍が管理していた、戦前は軍馬の飼
料となる燕麦・大麦などを保管する倉庫として使用されていた。
 戦前は倉庫の前後に鉄道の引き込み線があったらしく、去年分屯地内の工事中
に鉄道の遺物が発掘されたらしい。
『倉庫内部』


 現在は倉庫の中は空だった、いや空の倉庫に案内されたのだった。
イラク派遣時にはこの分屯地からもイラクへ派遣された隊員も居た、その頃には
この倉庫もイラク派遣用の物資が保管されていた。
『米軍も使用した倉庫、手前の木造は戦後増築された物』


 この倉庫は昔は瓦屋根だったらしが現在はトタン屋根、屋根と天井の間に土を
入れて断熱材としていた、北海道では瓦は珍しい。
木造の下屋は戦後増築されたもの。
『明治42年建築の倉庫』
『明治43年建造の倉庫』



 倉庫の裏が昔のままの姿を今も見ることが出来る、倉庫の構造は『木造石造
り』で札幌南区石山で採掘される石山軟石が5000個使用されている。
 工事請負額は当時の136,000円だった。
『月寒送信所 旧陸軍北部軍防空指揮所』


 札幌の自衛隊では旧軍の施設を使っているのが他にもある。
ここでは通信の教育を受ける教場がある、近く処分されると報道されたが、戦争
遺跡として保存する話もあるが多分保存されないだろう。
北海道では貴重な建築物があって保存運動が盛んに行われても『保存するには経
費がかかる』と言う理由で破壊されて来た、だから北海道には時計台とか道庁赤
煉瓦庁舎とか別格な建築物は別として、民家等の建築物で大正時代とか昭和初期
の建築物は極めて少ない、戦争遺跡の函館要塞とかトーチカ群とか処分するのに
お金がかかる物は放置され残っているに過ぎない、今、戦争遺跡は残そうと努力
しないと残せない時代に来ている。
『分屯地の消防車』


 分屯地消防隊の消防自動車、ここの駐屯地ではどうなっているか知らないが、
通常消防隊は各部隊からの臨時勤務で編成される。

続く