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戦車兵神博行の自衛隊チェック56

『掃海母艦』


『掃海母艦うらが』


 終戦後の日本周辺海域には機雷だらけだった、戦後もこの機雷触雷して多くの
被害があった、『航路啓開業務』と呼ばれる機雷掃海作業が旧海軍、復員省、海
上保安庁、海上警備隊、そして海上自衛隊と引き継がれた。
湾岸戦争後のペルシャ湾の掃海も行った歴戦の部隊だ、その掃海部隊の旗艦がこ
の掃海母艦うらがだ、数年前の話。

『再圧タンク』


 機雷の除去をする水中処理分隊のダイバーが使う再圧タンクも装備されてい
る。     
 胸たくさんの賞詞と潜水員記章を付けた海曹に話を聴いた、賞詞に5号防衛記
念章(3級賞詞)に金の桜か付いていたからだ。
これは陸自なら車輌等の運転を15万キロ無事故無違反で与えられる、空自なら
パイロットが6千時間の飛行時間を無事故で勤務した者に与えられる、しかし賞
詞に金桜は同じ賞詞を二回与えられていると言う意味だ。
 つまり上記の場合、一度しか与えられないので桜が付くことは無い、なのに目
の前の海曹は13号(5級賞詞)も9号(4級賞詞)も金の桜が付いている。
(13,9号も5号と同種、無事故2万と10万キロ)
『機雷』

 潜水員はその潜水任務により(回数か時間かは失念した)与えられるのだそう
だ、余りにも数が多すぎてこうなったのだそうだ、凄い!。
彼は幾多の困難な任務を達成しているベテランでペルシャ湾でも活躍した。 
『ペルシャ湾では訓練で使う機雷とは違い情報も少なく、どんな特性もあるのか
解らない中での作業だった』と言う。
『居室』


 そんな潜水員や掃海艇の乗組員が休息するための母艦、長期の勤務だと小さな
掃海艇に補給・支援を行うのだ。
その隊員が宿泊する居室。
 「掃海母艦うらが」は旗艦である、掃海部隊の司令官が乗艦している、将官旗
もはためいているのだ。
 その司令官室を見せて貰ったら、司令官が現れ気軽に会話してくれた。陸自で
は将官と会話なんてイベントに行っても無い、せいぜい記念式典くらいで遠くか
ら眺める程度だろう、ちょっと感激した。
『司令官の席』
『青と赤の艦長の席うらが艦橋』

 黄色の席が司令官の席、黄色と赤が幕僚長の席、赤と青が艦長席だ。
幕僚長とも話をしたが一佐だ、胸に見慣れない賞詞、いや略授だ!。
ペルシャ湾の掃海任務の功績でクェートからの従軍記章らしい。
そう言えばPKOに参加した隊員も海外から授与された勲章、記章の略授を賞詞
と一緒に着装していた。
『掃海母艦ぶんご』


 その数年後には「掃海母艦ぶんご」に乗艦した、大きくて広くて快適だった。
 後部には飛行甲板があり艦尾には大きなハッチががある、洩航式掃海具の格納
庫や機雷敷設用のハッチだ。
『掃海母艦ぶんごの76mm砲弾』

 この「ぶんご」には76mm単装速射砲が装備されていた、本当はもっといろんな
武装が欲しいそうだが予算が無くてこれだけだそうだ。
 この76mm砲弾持つと戦車砲弾より軽く片手でも持てた、でも真似しないでね、
それを見ていた見学者が「軽そう」と言って真似したら「重い」と砲弾を落とし
そうになってたから。

続く