戦争・軍事 > 戦争・軍事東長崎外(国内)北海道

戦車兵神博行の自衛隊チェック51

『余市防備隊』


『余市防備隊に停泊するミサイル艇部隊』


 かつて日本の沿岸部の哨戒などの任務を魚雷艇が行っていたが、この余市防備
隊は魚雷艇部隊以来の伝統を受け継ぐ高速ミサイル艇部隊である。北海道には海
上自衛隊の大きな基地は殆ど無く、北海道では海上自衛官は馴染みが薄い。
私が北海道で制服姿の海上自衛官を見るといったら地連(地方連絡部、隊員の募
集や予備自衛官を担当する陸海空自衛隊の機関)くらいしか無い。 その中で北
海道で艦艇が常駐しているのは余市防備隊くらいなものだろう、詳しくは知らな
いので間違いだったらごめんなさい。

『余市防備隊のミサイル艇』

 旧海軍の軍港と言えば青森の大湊までで、旧軍の頃から北海道には軍港が無
い、この防備隊も昭和40年代に魚雷艇部隊として誕生した戦後生れの自衛隊基
地だ。
 この防備隊は小樽市に近く札幌から1時間半くらいの距離にある余市市にあ
る、最近は『ヤンキー母校に帰る』のドラマや宇宙飛行士の毛利さんで話題に
なったり、昔はスキージャンプの選手を多く輩出した、余市ワインやウィスキー
工場もあって鰊漁でかつて栄えた北海道では比較的歴史のある古い街だ。
『余市防備隊の桟橋』

 この街の漁港に余市防備隊もある、堤防には釣人も多い。
そんな港の崖を背にして海賊の秘密基地のようなたた住まいなのが余市防備隊
だ、規模の小さな基地だ。
 そこにあるのが第一ミサイル艇隊の高速ミサイル艇だ。

 写真0466『高速で飛ぶミサイル艇』

 初めてこのミサイル艇を見たのは護衛艦の甲板からで、物凄いスピードで飛ん
で来たのを覚えている。
「飛んでる!?」と思う程、海上を高速で飛んできた。

 魚雷艇の後継として建造された高速ミサイル艇、全没型のハイドロフォイル型
船体とウォータージェット推進により超高速を発揮する。
船体前部には20mm多銃身機関砲(遠隔操作式)、船体後部には国産の対艦ミサイ
ルSSM−1Bの連装発射筒を2基搭載し、海上自衛隊艦艇で最高速(46Kt)
の機動力で強力な水上打撃を誇る。

『海自の艦艇を追い越すミサイル艇』

 ミサイル艇の乗員は高速で移動している間は甲板には出れなし、任務によって
は哨戒任務で行動する期間が長い場合もある。
魚雷艇の話をかつて魚雷艇の艇長だったOBから話を伺うと、長い期間と言って
もその小さい艇では補給物資の問題でそう長くは行動出来ない、食料も多くは積
めないし新鮮な食材も保存が長くできない。
『ミサイル艇が行く』 

 魚雷艇乗りだった方達の証言によると、魚雷艇乗りは苦労が多かった。 冬は
日本海の波が高く行動不能になるので大湊へ避難していた、小さな船体では眠る
のも困難でなにかにしがみつきながら眠った、うっかりするとベッドから投げ出
されて肋骨を骨折したこともあるそうだ。
そして性能が良いエンジンも乗っている人間にとっては、その余りにも大きいエ
ンジン音の騒音に皆定年退官した後も難聴で苦しんでいるそうだ。難聴は陸上自
衛官も戦闘職種の普通科、特科、戦車の隊員にも多く見られ年を取ると皆大きな
声で会話している、自衛官の職業病の一つだ。
『余市防備隊の写真を撮る人、アッ函館で加藤さんの写真を撮ってい
た人だ!(驀進バクパイプ99日間)』


 魚雷艇を保存しようとする動きがあった時、現東京知事の石原慎太郎氏が買い
たいと言っていたと聞いた、しかし大変なお金がかかるので無理だったそうだ。
 軍学者、兵頭二十八氏と取材に行った時に聴いた話。

続く