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「ミリタリーバランス1986−1987」の日本語版に書かれていた、
当時のニカラグア軍のヘリコプター部隊。
Mi−24ハインドが10機と書かれている。
実は、これが、中米での情報戦ロマンチズムの引き金となる。
つまり、ニカラグア軍のMi−24ハインドの撮影に成功すれば、
米国CIAが、高値で買うというウワサが駆け巡っていたのだ。
最低でも、6000米ドル。鮮明であれば、2万ドル以上も可と。
こんなロマンチズムの探検ごっこをカトケンが無視するわけはなかった。 |
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ヘリに地上攻撃される地域を好きこのんで求めるのは、
戦場野郎の行動の中でも、けっこう危ない部類だが、ロマンのためにはやるっ
きゃない。
ヘリの爆音が聞こえたら、空を見上げてカメラで追う。
200〜400メートル先で、ヘリの地上攻撃が行われていた。
しかし残念、Mi−24ハインドではなく、Mi−4ハウンドだ。
このときは、まだ戦場ジャーナリズムには目覚めていなかったので、
ヘリによる地上攻撃のシーンを撮影すれば雑誌に売れるなどという発想はなく、
なにしろ、Mi−24ハインド以外は眼中になかったので、現場へ行かなかった。
大いなるロマンを追いすぎて、現実を見失っていた。
1988年4月29日 |
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中部ジャングル地帯で補給航路下で待ち伏せかけていたのが当たり、
「ドドドドド・・・・」っという大型ヘリっぽいエンジン音が聞こえたときは、
鳥肌立ったが、
残念ながら、Mi−8/17武装ヘリだった。
武装ヘリと攻撃ヘリの違いは、メンテ運用もろもろの点でその違いが大きい。
1988年5月上旬 |
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Mi−2、Mi−4?
地上に向かって突っ込んでくるヘリと正面対峙するのはかなり怖いが、
その怖さこそが、中米ロマンチズムでもある。
しかし、望遠レンズを向けられると、ヘリパイロットも相当に怖いらしい。
だから、たいがいは、ヘリのほうが先に進路を変えてくれる。
こういうことも、ニカラグアのジャングル戦から学んだ。
1988年7月11日 |
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飛んでるMi−24ハインドを撮ったのでは、資料性が薄いとのウワサがたちま
われはじめ、
基地を遠方から望遠で隠し撮りする方法へと変える。
CIAは、場所を特定したいはずだ、というのだ。あくまでもウワサね。
場所を特定して、奇襲攻撃して破壊されるかな?
というわけで、南部ニカラグの第5軍管区にあるヘリ基地を望遠撮した。
135ミリに2倍テレプラス+1,4倍をつかった。
望遠は、この時代まででかかったので、あまり大きいのを使えなかった。
大きい望遠は、携帯ミサイルなどと間違われるのでキケンなのだ。
ここに見える5機は、全部Mi−8/17だ。
1988年7月20日 |
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偶然発見した秘密基地も、密林の中から激写。
しかし、Mi−24ハインドはいない。
1988年9月中旬 |
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首都ニカラグア郊外のヘリ格納庫も覗いてみたが、Mi−24ハインドはない。
1988年9月9日 |
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おおっと、こんな目立つところにもヘリさんが。
こんな出会いがあるなんて、偶然といっていいのだろうか。
「ワナではないか」と感じたほどだった、
しかし、Mi−24ハインドではなく、Mi−8/17
1988年9月中旬 |
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でも、多連装ロケット弾発射ポッドは初めて見た。
これが、ソ連軍のロケット弾発射機だ。
ニカラグア軍のマークと一緒に写しこむところなんか、
そろそろ、軍事ジャーナリズムに慣れてきたかな。
ニカラグア軍のヘリにこのポッドだよっていうことが大事なんであって、
ソ連軍のだとしたら、なんの資料価値もない。
1988年9月中旬 |
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そして、最後の手段、正式にニカラグア・サンディニスタ軍の
ヘリコプター部隊の正式取材許可を得ると、そこには、Mi−8/17しかない。
ふつうに考えたら、最初の手段ではないかってか?
いやいや、それじゃ、ロマンがない。
1989年2月24日 |
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とりあえず、ニカラグア軍のマークを構図の中に入れないと、
どこで撮ったのかの資料にならないからね。
ヘリ部隊の副司令官、カルデロン大佐によると、
Mi−24ハインドがあるというウワサが流れているが、実際には、ニカラグア
には存在しないのだという。そのあと、ソ連に整備研修で3年間いっていた整備
兵たちに訊くと、
「私たちも、、Mi−24ハインドがあると聞いていたが、整備機材もないし、
整備研修を受けた同胞の話も聞いたことはないから、たぶん、存在しない」と。
ウワサ元のホンジュラス在住怪しい米国人にこれらのロマン紀行を話すと、
パナマで米国の情報機関らしき男が、ニカラグアのMi−24ハインドの部品を
購入しようとして、高額の交渉をしたが、ネジひとつたりとも入手できなかっ
た。入手できなかったイコール存在しない、とは言い切れないのだが、そういう
ことなのかな、と。
1989年2月24日
最近の戦場取材屋さんたちは、速報性に追われて、あまり、ロマンに浸っている
時間はないようだが、1980年代の戦争取材ってこんな感じで、のんびりして
ました。私以外にも、直接会った人だけで、6人がこのロマンを追っていた。 |