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会津若松ワシントンホテル玄関の告知 会津青年文化フォーラム 後援:会津若松市教育委員会・産経新聞福島支局 「新しい歴史教科書をつくる会」福島支部 主宰:順天堂医院・米山眼科 |
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「こんな、でっかい目立つ看板が!」とびっくりする講演者の2人。 |
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「会津戦争からテロ戦争まで」というテーマで、学識のない東長崎機関メンバーも、無学 さを突っ込まれつつも、なんとか喋っていた。 |
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兵頭二十八氏は、会津戦争についても、バリバリの自信を持ってスピーチできるのだが、 勉強を避けて通ってる東長崎機関の加藤氏は、歴史には疎かったため、 県会議員氏の反論に反論できなかった。 |
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100人くらい入れる会場で、70人以上はきていただろうか。 アムネスティの常岡君徳永君には負けたかな。 |
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花束なんか贈呈されちゃって。 |
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懇親会で、最後まで残ったメンバー。 宮城県からきてくれた人は 「教育委員会の後援で戦争の講演を実現できるっていうのは、さすが会津ですね」 と感心していた。 戊辰戦争の敗北がいまだ陰を残す、「会津藩文化圏」である。 会津戦争についての講演の中で、 「会津若松の庶民を計画的に疎開させなかったために、一般庶民が戦火に巻き込まれたの は、会津の武士は武士として、庶民を守らなかったという責任は重大」というようなこと を言ったら、 県会議員の方に「会津の武士は、一般庶民を戦火に巻き込まなかったということで評価さ れている」と会場から反論されてしまった。 しかし、私が参考にした書物「会津戦争」(学研・歴史群像シリーズ)では、以下のよう な記述がある。 |
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会津側の歴史認識では、この点では、かなり違う見解があるようだ。 |
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