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パンキシ渓谷4

青木祐二の見たアブハジア最前線とシュワルナゼ大統領


2002年になって、グルジアのパンキシ渓谷やアブハジア紛争が注目されてき
ているが、東長崎機関メンバーの青木祐二は、1992年からすでにグルジア・
アブハジア問題をウォッチし、最前線スフミへ砲撃の中、突入していた。さらに、
シュワルナゼ大統領にも同行取材。
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スフミ市街

スフミ市街を走る装甲軌道車BMD-2
 1992年7月、旧ソ連グルジア内にあるアブハジア共和国が独立を宣言。
グルジア軍との軍事衝突に突入した。
 1992年12月、私はモスクワからの臨時便でアルメニアへ飛んだ。グル
ジアの空港が閉鎖され、いつ飛ぶかわからなかったからだ。アルメニア
の首都エレバンからバスを乗り継ぎ、国境を越えた。
 グルジアの首都トビリシは都市としての機能は麻痺していた。電気は
とまり、多くの建物にはいたるところに銃弾の痕がある。

スフミの山岳地帯にある軍の司令官

スフミに到着したシェワルナゼ氏
 アブハジア紛争の前線の町スフミは旧ソ連では有名な保養地である。
気候にめぐまれ、広い畑には冬にも関わらずオレンジがたくさん実って
いた。しかし、街には装甲軌道車などの軍事車両が行き交っている。電
気はもちろんとまっている。ひとびとは街路樹を切り倒し、暖をとって
いた。

 最前線地帯へ行ってみた。幅100mほどの川の手前にある住宅地である。
陽気なグルジア兵士たちがおしゃべりしている。カラシニコフ小銃で射
的ごっこをするものもいる。その時、砲弾が飛んできた。落下地点は離
れている。しかし凄まじい音だ。兵士がしばらくだまりこむ。だが、す
ぐにおしゃべりが再開する。いつものことなのだろう。
 その夜、ある部隊とともに夜をすごす。小さなランプを囲みおしゃべ
りは続く。いつ死ぬかわからない状況にも関わらず楽しそうである。だ
が、よく見ると目が笑っていない。冗談をいうことで死への恐怖をごま
かしているのかもしれない。

 午前1時すぎ、砲弾の音がした。着弾とともに地響きがする。だが、
みんな動こうともしない。沈黙が部屋の中を覆う。1分ほどすると砲弾
がまた飛んできた。今度は1発ではない。そして砲撃は次々と繰り返さ
れた。何十発続いたかわからない。気が付くと1時間ほど経っていただ
ろうか。

 死ぬ事への恐怖を私は生まれて初めて味わった。こんな状況で暮らし
ていたら気がおかしくなるだろう。

スフミの病院に入院している負傷兵

スフミ近郊の前線地帯の兵士たち
 スフミの街にシェワルナゼ最高会議議長(当時)が来ることがわかっ
た。スフミの司令部にいる広報官が私にそっと教えてくれたのだ。私は
すぐに首都トビリシへ飛んだ。そしてシェワルナゼ氏への同行を申し入
れた。

 スフミへは軍事ヘリコプターで同行した。途中民間機へ乗り換えてス
フミへ入った。スフミの議会棟へつくと地元の議員たちと会議をはじめ
た。

「グルジアもソ連から離れ、自由な独立国を目指している。お手本にな
る国は日本である。戦争の荒廃から立ち直り経済大国になった日本のよ
うな国になりたい」「日本に望むことは、軍事援助でない。内戦集結の
後の復興に手をさしのべてもらいたい」
 シェワルナゼ氏は私にこう言った。

川の向こう側にアブハジア軍がいる
 アブハジア紛争はその後、沈静化したが、いまだに対立は続いている。
アルカイーダのメンバーやオサマ・ビン・ラーディン氏の潜伏も伝えら
れている。グルジアそしてアブハジアの問題はどうなっていくのか。
今後の動きが注目されよう。

                                (写真・文・青木祐二)

首都スフミと近郊

続く