東長崎外(国内)北海道

北海道護国神社と常磐公園(旭川散歩6)

(写真/文:神博行)



北海道護国神社へ行く。


よく「旭川護国神社」と間違えて言う人がいるが「北海道護国神社」なのである。
北海道の軍都として発展した旭川には第7師団が置かれ、北辺の守りについていた。
屯田兵の時代から7師団へと変遷し、幾多の戦いで戦没した北海道健児を祀ってい
る。
ここへ来た目的は「一木支隊」の慰霊碑の撮影だ。
一木支隊慰霊碑


私は「英霊の帰還」という短編を書いた、ガダルカナル島で全滅した一木支隊が幽霊
となって聯隊へ還って来た怪談だ。
長いこと暖めていた題材であったが、ガダルカナル島の戦闘と絡めて書いた。
いろんな人から昔聴いた話も織り交ぜ、皆が知ってる話からその後の話まで書き綴っ
た。
由来碑


英霊は部隊に還っただけでなく、その後家族のもとへ還ったのだった。
将校官舎で夫人達が多数、夫が血まみれで帰ってきたという話から心配になって、留
守部隊へ夫の安否を確認しに行った。
ガダルカナルの石


そんな切ない話を書いたのだった。
護国神社では基本的に慰霊碑の建立を認めて来なかったのだが、一木支隊だけは特別
だった。
しかし今回護国神社の境内へ行くと他にも慰霊碑が建立されていた。
以前訪れた時には存在しなかった慰霊碑だ。
札幌護国神社でも去年新しい慰霊碑が建立されていたから、戦争世代の最終的な慰霊
碑ラッシュみたいなものがあったのかも知れない。
戦没者がいなければ、その遺族も生まれないので神社としても方針を変えたのかも知
れない。
旭川のシンボル旭橋


軍都旭川の遺物を求めて近所を散策する。
旭橋は師団通りと呼ばれた昔、旭川駅方面から師団へ向かう石狩川に架けられた橋で
旭川のシンボルであった。
幾万の将兵が旭橋を渡って戦地へ出征したのだ。
旭橋の銘板


夕闇迫る旭橋は美しい、冬には街灯がなんとも美しく暖かい感じがしたものだ。
本当に久し振りに旭橋に触れる、中高生の頃この近所の古書店によく来た。
冬祭も河川敷や近くの常磐公園によく来たものだった。
常磐公園石碑


常磐公園へ行く。
「常磐公園」の字は二.二六事件で暗殺された渡辺錠太郎陸軍大将の揮毫である。
第7師団長の頃のものだ、教育総監だった時に暗殺されてしまった。
7師団長時代とても慕われた師団長であったという。
永山武四郎銅像


常磐公園の出入り口には初代第7師団長の永山武四郎の銅像がある。
札幌には旧永山武四郎邸が保存されている。
旭川には明治天皇により、永山中将の名字をとって「永山」という地名がある。
街灯が灯った旭橋


ぐるりと回って旭橋へ戻ると街灯に灯がともっていた。
いろいろと青春時代の思い出の詰まった旭川である、ちなみに私は旭川出身ではあり
ません。