東長崎外(国内)北海道

北鎮記念館の巻(旭川散歩3)

(写真/文:神博行)



北鎮記念館「坂の上の雲展」


北鎮記念館は旭川駐屯地外にある、旧旭川第7師団の資料や旧軍関係の資料を多く展
示している資料館である。
軍都旭川の名残を残す所として多数の人々が訪れる観光名所でもある。
ほとんど旭川が地元であったて私は、まだ旭川駐屯地内にあった頃に何度となく訪れ
たものだった。
騎兵のサーベルらしい・・・、指揮刀だけど・・・


残念ながらリニューアルされてからは年1度のペースでゆっくり見学もできないでい
る。
北鎮記念館に小島氏自作のDVDを販売するとかで、売店にDVDとそのDVDの映
像を流すモニターの設置に訪れた。
2009年に千歳に来た米空軍のサンダーバーズのDVDを売るのが目的だ。
ちなみにジャケットの写真は私が撮影したもので、随分作品には貢献しているが、私
は一銭の得もしていない。
日露戦争時の歩兵25聯隊長渡辺大佐の軍服


北鎮記念館館長は熱心な方で、去年札幌護国神社の遺品殿を見学したいが見ることが
出来ないと言うので公開日を電話で伝えたら、わざわざ旭川から札幌まで来て見学し
て行った。
自衛隊の資料館で熱心に勉強をしてまで勤務しているのは、全国的に見ても衛生学校
の木村1曹と北鎮記念館館長平塚1尉くらいしか知らない。
海軍の軍服秋山真之の時代と少し違う?


今回行くと坂の上の雲の展示をしていた。
秋山兄弟に合わせて海軍の軍服と陸軍の騎兵の軍服が展示されていた。
騎兵のサーベルが指揮刀なのは残念だが、実物はもっと太い日本刀の入ったサーベル
だったら良かったが、入手困難で値段も高いので代用品であろう。
こんな細い刃の入っていない刀で騎兵は突撃できないよね。
重機関銃


渡辺大佐は日露戦争時の歩兵25聯隊長であったが軍服は少将と大佐の野戦服が展示
されているも軍帽が逆になっていた。
少将の肋骨服に黄色い軍帽があったが、赤い方が将官の軍帽である。
重機関銃の弾「甲弾」


そんな時に突然「神!神じゃないか!」と私を呼ぶ者がいる、地元の知り合いか?見
覚えが・・・、「あっ中隊長だ!」そうである72戦車連隊時代の私の中隊長であっ
た日野中隊長であった。
思わず直立不動になった。
日野氏は定年退官され北鎮記念館のお手伝いをされていたのだった。
第2偵察隊隊長の頃にお会いしたのが最後であったが、「神ちゃん」とお腹の贅肉を
揉まれて以来の再会であった。
日露戦争へ出征した第7師団将校団の寄せ書き


噂はどこに行っても聞こえて来る方で2戦車の3科長をしている時も、旭川の業務隊
に居たのも何故か私の耳に入って来るのだった。
とても懐かしい中隊長である。
野外の訓練で温食を配膳されても全員が食べるまでけっして箸をとらなかったのを覚
えているし、
豪快で皆とよく遊び、飲んだ中隊長だった。
中隊長に旭川へ帰って来た英霊の話をした、もちろん中隊長は御存知だったが、28
聯隊の一木支隊が部隊に帰った話までは、知っておられたがその後日談で英霊、将校
の官舎に奥さんのもとに帰って来た話を涙ながらに私が話しをしていたら「初めて聴
いた」と行ってくれて嬉しかった。
28聯隊は私の故郷の聯隊区であったため、若い頃いろんな話を聴いてあるいたの
だった。
 日露戦争に出征した将校団の寄せ書きに釘付けになった。
徳富蘆花「寄生木」の主人公のモデルで、乃木希典陸軍大将の書生であった小笠原善
平陸軍中尉の名を探したのだった。
しかしそれらしき名は見あたらなかった。
「寄生木残照」の著者目加田祐一氏は私が中学生の頃からの恩師であるが先年物故さ
れた。
そんな関係で小笠原中尉の墓所のある岩手県宮古へも行ったし、「寄生木記念館」へ
も行った。
乃木大将を崇拝している私は、寄生木のような内側から見た乃木希典を描いた本は類
例がない。
早速館長へ質問するとさすがによく知っておられて「小笠原善平は書かれていませ
ん、理由は解りません」と簡潔にお答え下さった。
小笠原善平を知っているだけでも大したものだと感心した。
そんな勉強熱心な北鎮記念館は一見の価値あり!無料だし旭川へ行ったら行くべし。