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中米ニカラグアの金鉱山シウナとボナンサといったら、1988年の当時、まだ
反政府ゲリラ・コントラとサンディニスタ解放戦線の激戦地帯になっていて、
密林の奥に隠されたロマンチズム溢れる宝の山だった。 |
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とうぜん、戦場取材なんか、ほっぽり出して、金鉱盗掘へと向かった。
ニカラグア滞在も9ヶ月目になっていて、だいたい戦況も把握できてきたので、
戦闘に巻き込まれずにボナンサへ行けるルートが見えてきていたのだ。
そして、密林に入って約1週間後に、ボナンサ金鉱山へたどり着いた。
稼動している気配もなく、人の気配もないので潜入。 |
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そしたら、2人だけ、留守番さんがいた。
「おお、よくここまで来たなぁ。なにしに来た、取材か?」
「取材もだが、金掘りに来たんだよ。金は出てるか?」
「おおっ金か。自分で掘ったぶんは全部持ってっていいぞ」
「おおっ、さすがは戦場の金鉱だぜ話が速い」
エル・ドラード!だぜいっ! |
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「ほら、あそこだよ。金が出てくるのは」
「ん?、ロマンというのとはなんかイメージが違うなぁ」
「おおい、手伝いに来いよ。今日は出てるぜ」
と下から呼ばれてしまったが・・ |
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金鉱盗掘なんて、一攫千金的なロマンもってここまで来たんだが、
なんか、東京での時給800円のバイトより大変そうだなぁ |
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まあ、ロマンの現実なんて、こんなもんかもしれない。 |
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やっぱり、けっこう大変だった。泥水に浸かって、わずかな砂金を分別して。
でも、時給2ドルくらいにはなる。当時、公務員の月収が8ドルだったニカラグ
アとしては、ロマンのうちかなっ。
その1週間後、首都ニカラグアへ戻って、シウナ・ボナンサの土産話をすると、
「ええっ、外国人としては、はじめてシウナ・ボナンサの金鉱行ったっていうの
に、取材マジメにしないで、砂金掘ってたのかよぉぉぉ」と、アジアプレスのベ
テランカメラマンに呆れられた。
カメラマン氏はすぐにシウナ・ボナンサへ向かい、しっかりとプロの取材をして
きたようだ。カメラマン氏が現場に着いたときは、すでに掘削プラントの稼動が
始まっていて、盗掘まがいのことはできなかったとのこと。
「ほら、やっぱり取材なんかより、砂金掘りのほうが青春の思い出度は高いじゃ
ないっすかぁ」と、ベテランさんに、青春の思い出の作り方を教えてあげた。 |