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チェチェン戦争下の首都グロズヌイ。1995年2月中旬。 シャミール・バサエフ指揮下の22人のチェチェン人部隊が、ロシア軍狙撃兵に 奇襲をかけるために、迂回前進を始めた。狙撃兵警戒のときは、それほど、兵士 間隔を大きくあけていない。誰かが撃たれたら、即座に、狙撃兵の位置を見つけ 出さなければならないからだ。火点観測というヤツだ。 |
移動開始から数分後、奇襲部隊を銃撃と砲撃が襲った。至近弾の着弾はなかった が、空気を切る弾丸の唸りは、そこらのオーケストラ公演を超えるド迫力で、し かも、360度全方向および頭上全体からくるところが凄い。 そすが、芸術大国ロシアの銃砲撃だ。 チェチェン兵たちは、急いで、遮蔽物に走る。 こういうシーンでの走る姿の写真に迫力がないのは、身体に弾薬や装備を身につ けていて、防寒具や、人によっては防弾チョッキを着ていて、身体が、スピード 感あるスタイルに曲がらないのだ。 なんか、ジョギングしてるみたいな動きだね。 この写真は、奇襲部隊が、2つに分断されちゃうときのワンショット。 写真構図の取りかたが甘くて、よくわからないとおもうが、右と左に分散してし まってる。 写真の両端は、以下にアップで載せました。 さらに、カトケンが撮影している位置の部隊は、もっと完全に分断されてしまった。 |
つまり、このシーンは、かなり緊迫している戦闘シーンなのだが、カメラマンが ヘタクソだと、ぜんぜんその雰囲気が伝わらないね。走ってる兵士ではなく、す でに向こう側に隠れている兵士が、左右に分散してしまっている点に注目なのだ が。。 というわけで、商業雑誌等では掲載されなかった写真なので、ここで。 約20分間の銃砲撃で、部隊が3つに分断された。 ロシア軍の照準が不正確だったが、この銃砲撃によって、チェチェン人部隊の進 出は頓挫してしまったので、このような射撃が戦術的には意味があることがわかる。 特に、ゲリラ部隊のような訓練不足の兵隊たちの場合、銃砲撃が与える心理的な 影響が大きく、訓練教育や指揮系統などが行き届いている正規軍に比べて、各人 の動き方はかなり場当たり的というふうに見えた。 |