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臨津江を渡る唯一の橋「自由の橋」。戦争捕虜約13000人が自由を求めて渡ってきた ので命名された。本来、上下2個の橋梁があった京義線鉄橋は爆撃で破壊されたが、 西側だけ捕虜を通すために修復された。もう一方は橋脚だけのままだ。 |
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自由の橋へ向かう京義線。この先に1駅だけあるが、民間人出入統制線内に入るため、 鉄線で仕切られて韓国軍が警備している。 |
「自由の橋」は、パスポートなしで行けるところにあるが、こちらはDMZの中、軍事境界 線の真ん中を貫いている「帰らざる橋」。 橋の両端にも見張り小屋(手前が国連側で国連色に塗ってある)が見えるが、武装レベルに差 がありすぎて危険(北朝鮮軍側のほうが重武装)という理由で今は無人になっている。この地 点は、離れたところからガンガン監視してるのだね。 |
「帰らざる橋」の南側入り口。1976年に、ここで邪魔になったポプラを切ろうとしていた 国連軍兵士が惨殺されたポプラ事件以来、バスから降りることが出来なくなったらしい。 |
たまーに見える、軍事境界線を示す看板。この境界線から南北2kmずつが非武装地帯 (DMZ)だ。50年も人間に荒らされていないので、動植物にとっては天国だね。 この看板がキレイに(字が読める)撮れてる携帯の画像をみせびらかしてる韓国のガイド がいたっけ。 |
見晴らしのよいところからは、北朝鮮の「宣伝村」が見える。南北国旗掲揚台高さ合戦 では、160mまで伸ばした北朝鮮の勝ち。でも、掲揚するのにすごい時間がかかるら しい。村中の電気が一度に点灯消灯する住民のいない村ということだが、住民のいる韓 国側の「自由の村」も大変だ。農作業やるのも韓国軍が警備し、もちろん夜間外出禁止。 |
JSA区域は見張りと監視カメラがいっぱい。兵士のズボンの裾には、じゃらじゃら何か 入っていたよ。ここの警備兵は観光写真要員でもあって、集合写真に参加したりしてる。 |
国連バス乗り場に取り残されてた韓国のじいさん。板門店ツアーに韓国人が参加するためには 各種手続き・審査で3ヶ月〜6ヶ月かかる。そんな手続きをクリアしてやっとJSAエリアまで やってきたのに、酒を飲んでると最後の国連バスには乗せてもらえないのだ。 酒のほかに、ミニスカもダメだよ。 当初、JSAの警備は国連・アメリカ軍が主体で韓国軍はいなかったが、今は米軍指揮下とは いえ、韓国軍比率が6割にまであがっている。近々、ここの管轄も韓国軍に移るらしく、現在 のような板門店訪問ツアーはなくなるかもしれないという話もあった。東西冷戦の最後の遺産 みたいなところだし、ツアーもここの警備がいかに重要かをアピールするためのものだ。その うち、パスポート・チェックも不要で自由に来れるようになるのかも??? |