インフラ海外拠点イラク

遠藤盛章、生還




DNAの遠藤盛章さん無事生還の祝いが、地下鉄東西線落合駅近くの定食屋「味茂」で行
われた。
2003年4月24日。

4月2日から4月11日まで、警察の独房〜秘密警察の収容所と移され、フセイン政権最
後の刑務所体験取材をしてきたそうです。囚人服で現れてほしかったのだが、囚人服は共
同通信の人たちの部屋に脱ぎ捨ててきてしまったと。共同さん、こ汚い囚人服、捨てない
で持って帰国してくださいね。また遠藤さんに着てもらって、つらかった日々を思い出し
てもらいましょう。
遠藤さんと別れたのは、バグダッド市内アラウィ地区で4月2日の15:00過ぎころだ
ったか。そのときに、遠藤さんと一緒にコソコソと撮影していた1枚がコレ。遠藤さん
は、このあと、逮捕されてしまうことになる。

遠藤さん行方不明を知らされたのは、4月5日の正午ころ。ホテルのイラク人に「遠藤さ
んが3日間、戻ってこない、荷物を片付けてくれと。

部屋を、見に行くと「こりゃ、警察に拉致られたな」と思わざるおえない状況。だけど、
すでに電話がダメになっていたバグダッド市内、日本にも連絡取りようがないし、しゃあ
ないや!! と冷たく諦めた。特に3日も経ってるっつーのが、トホホだね。

紛争国で意図的に日本人が殺されたらニュースになるはず。ニュースになってないってこ
とは、どこかで生きてるに違いない。ということに決定。

バグダッドも食料のゲットがちと大変になりつつあった。
これは、4月4日の買出し大作戦のときの1枚。
しかし、4月5日に、その3割くらいを失うことになる。
と、シャバはこんな具合でしたよ、遠藤さん。

続く