インフラ海外拠点イラク米国テロ関連

亜紀子のアメリカンフィーバー

(ワシントンDC反戦集会)

1月18日のワシントンDC反戦集会に主催者発表で50万人が集ったことは
すでに伝えられたところだが、この人数については日本でも各紙、各局異なる
数を出していたようだ。デモ翌日のワシントンポストが「主催者によると50万人
が集まった」「いずれにしても30〜50万人、"えらく多い"史上記録であること
に間違いない」としながらも、<とはいえ、一体誰が数えているのか?正式には
誰も>というコラムにまで紙面を割いていたことは、反戦の声をこれまでの
ようには無視できないところまで米国メディアも敏感になっていることがうかがえ
た。
実際には、過去に同じ場所で行われた大規模の集会や、時には野球場の
来場者の占有範囲を比較して試算するのだそうだ。
<<< ラリー
1月18日、11時〜13時までが集会で、
その後、国会議事堂から海軍基地まで4マ
イルの道のりを17時頃まで歩き続けた。
数は間違いなく力。力としなくてはいけない時期だからこそ論点になるのだろう。
「コミュニティレベルでのアクションも不可欠だが、日常的には目に見えるもの
ではない。時として体と声を動かして人々が大規模に終結することが必要であり
それは何よりも届く声でなければならない。」と語ったのは主催団体ANSWER連合
のスポークスマン。反戦集会当日早朝の主要チャンネルで「今日は全米各地から
多くの人がワシントンDCに向かっていますが、これが政府の決定に何らかの
変化をもたらす要因となるでしょうか」という中継インタビューに答えてのものだっ
た。
これまで1月18日の大規模集会にについて米国内では主要メディアによる告知は
ほとんどされていないと聞いていた。だから集会当日の朝この中継インタビューが
流れたこと自体が期待できる傾向に思えた。

ワシントンDCの街中、コーヒーショップや地下鉄、タクシーなどで出会った人々に
「反戦の動きが高まっていることを感じるか?」と問うと、「それが、わからないん
だ。
そういう気がしていてもそうは報道されないから」「色々な人が色々な論調を
唱えるから、どれが本当なのかわからない」「米国主要メディアの報道は偏りすぎ
ているからもうBBCしか見ない」等、思ったよりも率直で冷静な声が返ってきた。
どうやらアメリカ市民も情報に翻弄されているようだ。少なくとも翻弄していること
を
認識しているかどうかで人の意見も分かれてくる。
<<< ボランティアミーティング
<<< プラカード
集会の当日、私は早朝から会場設営のために野外で動き回っていたが、
(イラク国境越えより寒かった!)集会開始の2時間前頃になってベトナム
戦争戦没者慰霊碑にほど近い場所に輪になって集う人々を目にした。
イラク攻撃賛成派によるカウンタープロテスト、逆抗議である。そこに
集まった約100人のほとんどが、まさにこれから戦線に赴くことになるかも
しれない若い兵士たちであることはその服装からも明らかだった。
「我々はアメリカ合衆国を信じ、アメリカが立ち向かおうとしているものを信じる」
そう声高らかに唱えるひとりひとりの顔を見つめながら、彼らもまた被害者
なのだと思った。アメリカの妄想を信じ込まされている被害者だと。
<<< 911被害者
午前11時に始まった集会は氷点下の冷気に包まれていた。しかし、国会
議事堂前がそれぞれの主張やメッセージを託したプラカードを持った人々で
埋め尽くされると、全身が凍りつく寒さも解けるほどの熱気となった。「この寒さ
も、イラク武力行使を急我が政府への怒りを覚ますことはできない」「イラクの
人々が強いられている痛みに比べれば寒さなど取るに足らない」と続く壇上の
スピーカーの声とそれに応える聴衆。この反戦集会は公民権運動を
非暴力の信念と行動で導いたマーチン・ルーサー・キング牧師の誕生日を
祝う週末に計画されたため、壇上には大きく彼の言葉が大きく掲げられた。

 今日世界最大の横暴者は我が政府である
 多くの人々がその暴力に震えている
 私は沈黙ではいられない

数十年前の教えが、より鮮明に今日を描写していることに複雑な思いがした。
だが、こうしてキング牧師の教えがアメリカ国民に引き継がれていることを
目の前にすると、歴史を動かすメッセージを持つリーダーが存在したことが
うらやましくも思えた。人々が持ち寄ったプラカードは既製のものから手作りまで、
読んでいるだけでも面白い。「石油のための戦争にはNo」「傷つくのは市民」
「武装解除はアメリカから」「攻撃は新たなテロを育てる」「私たちのお金は
教育や福祉に回せ」「アメリカの問題がイラクで解決することはない」「平和へ
の先制攻撃を」「私たちの名を使うな」「戦争は答えではない」など、表現は
様々だが、その主張はだいたいこんなところに集約されていたと思う。
<<< ラムゼー・クラーク
2時間に及ぶ集会では、ジェシカ・ラング(女優)、ラムゼー・クラーク(元司法長
官)、ベトナム戦争負傷兵、アラブ人やアフリカ系アメリカ人の人権団体や協会の
代表など30人を超えるスピーカーに耳を傾けた。ひとつとなった聴衆の集中力が
とぎれることはなかった。その後海軍基地までの約4キロの道のりを練り歩くこと
4時間。子連れの家族や10代の若者、白髪のお年寄りまで、大人も子どもも皆
歩いた。終点には米国各都市へ戻る長距離バスの迎えが並んでいるのだから
一大イベントである。360度広がる快晴の空に"No War on Iraq""No Blood for
Oil"
の合唱が終始飛び交い、全米各地から集まったこれだけ大勢の人がすぐに
一体感をもって行動できることはなんだかんだ言ってもアメリカ人の素晴らしさ。
これが正しいほうに向けばよいのだ。ベトナム戦争をしのぐであろう今回の反戦
集会に集まった人々の中にはこれまでこのような集会に参加するのは初めてと
いう人も少なくなかったようだ。かくいう私も万単位の大規模な抗議行動に参加
するのは初めてだ。戦争を止めるのはそんなに簡単なことではないということを
認識しているからこそ、「戦争が起きないといい」という受身の期待ではなく「この
戦争は自分たちが止める」という確信をもって集まった人々。そう肌で感じることが
できた。これだけの熱気と連帯感が溢れる中にも、単なる感傷ではない、程よい
冷静さが終始あった。もちろんユーモアも。それが良かった。
<<< 悪の枢軸
左から、ブッシュ大統領、
ラムズフェルド国防長官、
チェイニー副大統領
そんな余韻に浸る間もなく、イラク攻撃賛成派も健在なのだという場面に自ら
遭遇することとなった。集会の最中、日本から来たということでインタビューを
受けたのだが、それがどこかのテレビ局に映ったらしい。テレビを見たという
中年の男性がホテルのロビーで私に近寄ってきた。そして、「ほかの国がだらし
ないからアメリカはイラク人を開放してやるんだよ」と言い放った。さらに「自由と
民主主義」の連呼。またか、という思いがした。私は「アメリカが自由と信じる
ことがイラクの人々とってそうではなかったとしたら?自由ではなく脅威だとしたら
?
自由の定義って?」と問い返してみたが論議は空回り。

アメリカ軍の存在こそが
世界の秩序を保つと信じて疑わないその男性は、アメリカが世界から孤立を
深めているとか、多くの国から嫌われているなんてことは微塵も視野に入って
いなかった。しまいに「アメリカ以上に世界の子どもたちを助けている国はほかに
ないだろう」と言われたのには、「虐げるから助ける必要が生まれるんでしょう。
戦争と引き換えに助けるなんて、あなたは子どもがそんなものを望むと思う?」と
一気に言葉を返していた。周囲の無言の視線が刺さった。言い返して急に嫌な
気分になった。でも、いい場面しか見ないで帰るより良かったのかも。
そう思って私は翌朝帰国の途についた。
 
日本に帰国した足で乗ったタクシーの運転手に「ご旅行帰りですか」と尋ねら
れた。「旅行、そうですね、実はアメリカの反戦集会に行ったんです」と答えたら、
運転手が沈黙してしまった。ちょっと急進的に聞こえてしまったかな、と
思っていると「僕の本業は自衛官なんです。だから戦争反対とは言えなくて」
と言う。
 「そうだったんですか・・・」
 「ええ、戦争がはじまったら任務ですから複雑です」
 「それは複雑ですねぇ。でも、どうなんでしょう、個人としてと仕事としてでは
  やはり違うものなんではないですか」
そう言いながら、自分はなんて酷な質問を投げかけているんだろうと思ったが、
30代半ばぐらいと思われるその運転手は少し間を置いて答えた。
 「違いますね」
私は先のイラク訪問について自分が書いた新聞投稿記事のコピーを「よかったら
読んでください」とだけ言って運転手に渡し、タクシーを降りた。
ますます酷だったな、と思いながら・・・。
色々な人々に出会った4日間の旅が終わった。
<<< メディアは本物
写真・文/宮崎亜紀子(イラク・ジャミーラ団)

続く