本田氏は1966年、ベオグラードに留学生として渡る。4年間大学で学ぶ後、当時
ティトー時代の人々のノンビリとした毎日、日本とは違い仕事に追われる事の無い生
活空間、競争の無い社会。日本とは違う意味での裕福さがそこにはあった。これらに
魅了された本田氏は日本に帰らず、ベオグラードに留まる。それ以来、ビジネスマン
をやりながらサボテンと共に幸せな生活を送っている。
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・ベオグラード在住36年の本田氏。
手にされているのは日本のサボテン。
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本田氏によると、「昭和35年、日本ではサボテンの一大ブーム」だったと言う。
そして「これは自分にとっていつか将来的に何かに繋がる」と確信し、13歳の時に
サボテンを始める。しかし、ベオグラードに来てからはサボテン栽培をやる事が出来
ない年月が続いた。そして20年前、奥さんが一つのサボテンを買って来たのがきっ
かけとなり、新たにサボテン栽培を始めることになる。始めた当時はベオグラードに
はサボテンがあまり無く、サボテン集めに苦労したようだ。リュブリャーナ(スロベ
ニア)・ザグレブ(クロアチア)などにサボテンが在る事がわかり、時間を作っては
購入に出かけ、少しずつコレクションを増やしていく。
セルビア人のサボテン愛好家達が本田氏の所に「私もやっています」と、連絡がくる
ようになり、そしてある日、地元新聞「ポリティカ」が本田氏のサボテン栽培を記事
に出した。これがきっかけで、1995年、「セルビア・サボテン会」が発足。本田
氏によると「会員は約250人位います。その中で本格的にやっているのは50人程
です。」現在はインターネットを利用するなどして、日本の愛好家達とも繋がりがも
てるようになり、物理的に非常に難しいが日本のサボテンも保有している。
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・本田氏のコレクション1
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サボテン栽培の難しさを聞いてみた。
「基本的にやさしいが水をやるタイミング、温度調整ですね。冬場は水差しを止め、
サボテンの中の濃度が上がり冬はそのようにして耐えられるのです。
そして3月くらいから暖かくなると水差しを始めます。これだけのサボテンがあると
毎日の水差しは1日100リッターにもなるので大変ですよ」筆者も驚いたのだが、本
田氏のサボテンの数は1000種類をはるかに越えている。自宅テラスにある温室の
中は置き場が無いくらいサボテン達が所狭しと並んでいる。
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・コレクション2
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しかし、本田氏には現在サボテンについて大きい問題がある。自宅テラスの隣とその
裏側に一軒家とアパートが建ってしまい日光が完全に遮られてしまった。日光がもっ
とも大事なサボテンには致命的問題。この為本田氏はサボテンの為に地方に広大な土
地を購入。家の建替え、庭の整備が完了した後に引っ越す事になる。そこに移った時
には今よりも大きい温室を作り、サボテン達にノビノビとした最高な環境を与える事
が本田氏の夢だ。
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・コレクション3
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