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常岡浩介拉致100万ドル報道




アフガニスタンで拉致人質となって常岡浩介氏への電話インタビューを毎日新聞が報
じた。
2010年6月17日の毎日新聞である。

 ここで、犯人からの要求が100万ドルであると報じた点は珍しい。
人質解放交渉では、身代金の有無や特に金額については報じないようにという依頼
が、外務省などの政府機関からあるから。東長崎機関のような弱小機関にでも、「金
額は出さないで。日本政府は、だいたいこんな金額なのかと、犯人側に国際基準がで
きてしまうのがマズい」とのことで、2001年常岡浩介解放交渉(グルジア)のと
きにも身代金額については出さないでと、いってきたのだ。
 2001年のころや、その後のイラク人質事件2004のころは、交渉提案がある
ことを報じることも嫌がった。というのは、対テロ徹底抗戦の姿勢を米国など国際社
会に約束した日本は、タリバンとは取り引きしてはいけない約束。つまり、犯人側か
らの交渉提案があるこことが知られることによって、日本政府は、犯人側とのウラ交
渉をやりづらくなる。米国とかから「そんな交渉に乗るなよ」って釘を刺されてしま
うことを恐れて。

 とはていっても、常岡くんの身の危険度が高まるわけではありません。彼は10年
でも20年でもアフガンの一室で生き続けることでしょう。常岡くんは、彼のファン
のファンギャルたちに「アフガンにいるときのほうがボクは元気だ」と言ってたわけ
だし。
 100人の大規模部隊による拉致作戦ということが本当だとすると、これは、常岡
君が、ツイッターやブログに自分の潜入計画や潜伏地域を公開しながら動いていた戦
果だね。「ボクここだよ、捕まえて捕まえて。事件化して有名にして」とネット上で
世界発信しながらの潜伏行の成果。タリバンに日本語できる人なんかいなくても、
グーグル翻訳ソフトでチョチョイのチョイ。

以下2001年常岡浩介解放交渉(グルジア)のときのこと(講談社文庫)
というわけで、東長崎機関としても、常岡浩介有名人化、人質アイドル化に協力の1
ページでした。毎日新聞以外の他メディアは、身代金額明示に危機感を感じたせい
か、報道が広がりませんでした。

続く