■東長崎機関とは。

 



1993年8月、
僕が、東長崎在住のギャルと結婚して、
この地に住んだのがキッカケとなり、旅仲間や、
同業のフリーランスの友達が集まってきた。
そして、1994年11月、
僕は離婚して近所にアパート暮らし。
この頃から、友達が友達を呼んで、
どんどん人数が膨れ上がり、20人を越え、
なんとなく「自由人の村」となっていった。

  そして、東長崎機関、という名称が生まれた。


                               加藤 健二郎

2004年7月に、東長崎機関はメンバー制度を廃止しました。

東長崎機関には、一貫したテーマはない。
気まぐれであるということが一貫してるともいえるが。
そして、2005年以降の東長崎機関の「旬」はバグパイプだ。