1993年8月、 僕が、東長崎在住のギャルと結婚して、 この地に住んだのがキッカケとなり、旅仲間や、 同業のフリーランスの友達が集まってきた。 そして、1994年11月、 僕は離婚して近所にアパート暮らし。 この頃から、友達が友達を呼んで、 どんどん人数が膨れ上がり、20人を越え、 なんとなく「自由人の村」となっていった。 そして、東長崎機関、という名称が生まれた。 加藤 健二郎 2004年7月に、東長崎機関はメンバー制度を廃止しました。 東長崎機関には、一貫したテーマはない。 気まぐれであるということが一貫してるともいえるが。 そして、2005年以降の東長崎機関の「旬」はバグパイプだ。