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パレスチナ人居住区の占領軍としていろいろやってきた元イスラエル兵たちの 告白。 退役イスラエル兵たちは、検問などでは、権力の行使を楽しみ、それに酔って しまうこともあった、と言っている。実際に殺したか、弾を人に当てたか破壊行 為に参加したかということではなく、「楽しんでいた」という意識を国際社会に 向かって表現できることからは、イスラエルが自由な国であることがわかる。日 本兵(自衛官)に、これほどの自由はあるだろうか。 兵役を拒否しないで、軍務を全うした上で、問題を訴えるイスラエル兵たちの 告白だから、意味が大きいという意見が出るシーンもある。そう、つまり、殺し や破壊をしないで問題提起をするのではダメで、殺しと破壊をしっかり実行した 上での告白には重みがあるわけである。これは、戦争を正当化して、歴史の一行 としてその偉業を残するための基本構図かもしれない。殺してから死者に敬意を 払う。怪我させてから手当てをする。破壊してから復興支援、経済援助をする。 大会社や政府などの命令によって悪事を実行した多くの人は、責任の大きな部 分を命令者に負わせようとして、もっとタチの悪い者は、自分も被害者であるよ うに振舞おうとする。この映画に出てきたイスラエル兵たちは、被害者気取りは していない。日本では、兵士も被害者という逃げ道が用意されがちだ。そして、 全体責任は無責任という論理を利用する。軍命による行為でも個人で責任意識を 持つかどうか、そういう比較の目で見ると、日本っていうのは、個人の尊厳はか なり低いのだな、と感じた。軍命と個の責任という観点からすると、アメリカ兵 も、意外と個人の尊厳はそれほど高くないかも。 (加藤健二郎) 「沈黙を破る」(制作・配給・シグロ) 東京・ポレポレ東中野にて5月2日(土)より 大阪・第七芸術劇場にて5月9日(土)より 京都・京都シネマにて 5月23日(土)より |