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イスラエルに住む、イスラエル人報道カメラマンに密着したドキュメント映画。 爆弾テロのニュースをキャッチしたら、バイクで素早く現場へ行く。テロ写真 は、爆発の瞬間から、5〜10分後に現場へ到着できなければダメだ、とジブ・ コーレンは語る。日本から遠路はるばる出かけてゆく日本人報道カメラマンの立 場からすると、うらやましい場面がいっぱい。土地勘もあり、バイクもあり、情 報も迅速にゲットできて、なにしろ、自宅という拠点が戦闘やテロの現場から数 分のところにあるのが強い。そりゃ、自宅がやられる可能性はあるとか、いろい ろ大変なことはあるだろうけど、同業をやっていた者としては、やはり、現地人 カメラマンの有利な面がたくさん記憶に残った。「これじゃ、異国から行った者 にはかなわないや」と。 ガザ撤退の取材で、ジブ・コーレンは「涙が出た」という。日本や欧米から、 出かけていったカメラマンたちが、こういうシーンで涙したという話はほとんど ないだろう。外国人カメラマンは「絵になるいい写真が撮れたか、売れる写真が 撮れたか」ばかりが気になっている。こういうところも、当事者であるがゆえの 強味だ。よく、当事者だと、視点が第三者的でないから、と、外国人視点の意義 をいう意見もある。しかし、外国人視点だからといって、中立な視点であるなん てほとんどない。私のつきあいのあるジャーナリストさんたちの多くは、「イス ラエルが悪くて強硬で、パレスチナがかわいそうな被害者」という視点であるこ とが基本スタンスであって、決して、中立になろうとはしない人が多い。私自身 がパレスチナを訪れたことないので、自分の思想はないが、パレスチナを語る ジャーナリストさんたちの視点の偏りには違和感を覚える。 この映画を観て、ジブ・コーレンが外国人ジヤーナリスト以上に偏っていると 感じるだろうか。現地に家族を持ち、その地で、イスラエル側とパレスチナ側の 両方を堂々と取材し、それでも無事に生き延びているということは、それほどど ちらにも偏っていない証拠のような気もする。 イスラエルは、取材許可に関しては、非常におおらかで、市街地で家宅捜査す るイスラエル軍部隊を至近距離からいくらでも写真撮れるといわれている。(私 は行ったことならいでわからない) で、この映画では、そのようなシーンが出 てくる。警戒しながらパトロールして進む歩兵部隊のすぐ間近の正面から、カメ ラマンが写真を撮っているのだ。ほとんど映画撮影か舞台撮影かっていう、おか しな光景だ。なるほど、これなら、迫力のある写真が撮れるわけだ。日本人の知 り合いカメラマンの何人かは、「パレスチナはじっくり落ち着いて良い構図での 写真が撮れるから、何度も通って、絵になる写真を作品として仕上げるのにい い」と教えてくれた。「他人の戦争で、絵になる写真を目的に・・・」なんてお もう人もいるかもしれないが、、ジブ・コーレンも、「絵になる写真」をすごく 意識していることが、この映画の中では語られている。 この映画の欠点は、1秒前後の短いシーンを切り貼りしすぎていて、その中に、 静止画が含まれたりしているので、観ていて、非常に目が疲れる。落ち着きがな い。技巧に走りすぎである。せっかく、密着ドキュメントなのだから、もっと長 いシーンで構成したほうが、周辺環境や情況も感じとれる。ドキュメント映像と しての情報がせっかくあるのに、1秒くらいで、次のシーンにどんどん切り替 わってしまうので、それらの情報を消化不良になってしまった。 1000の言葉よりもー報道写真家ジブ・コーレン 2008年6月14日より、ロードショー 東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス内) 監督:ソロ・アビタル 配給:アップリンク |