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<ストーリー>
1997年〜2000年の3年間、監督の一人であるB.Z.ゴールドバーグの、パ
レスチナ自治区やエルサレム近郊への旅を追ったドキュメンタリー。各地で出会っ
たパレスチナ・イスラエル双方の子供達は、それぞれまったく違う家庭環境、社
会環境の中で暮らしている。ほんの20分と離れていないところに住んでいるの
に、お互いのことを全く知らないのだ。監督の呼びかけで彼らは一日を一緒にす
ごすことになるのだが・・・。
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<感想>
ユダヤ人の子供をパレスチナ自治区に遊びに行かせて、パレスチナ人たちとワイ
ワイ盛り上がらせる。自分の国に検問があることも知らなかったユダヤ人少年た
ちが、「自分がパレスチナ人の立場だったらハマスを支持するだろう」と言う。
パレスチナが和平ムードを期待されていた2000年以前の撮影のドキュメンタ
リーだ。せっかくこういうムードがあったのに、今のような紛争状態の再燃を思
うと、「こいつらには戦争をやめる賢さがないんだな。勝手にやってれば」とい
う見捨てた気持ちになってしまう。
(パレスチナへ行ったことない人)
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子どもが可愛かった。
特に、ユダヤ人入植地のモイセの妹が猛烈に可愛かった。
ユダヤギャルはギャルギャルであるという私の永年の仮説は、
これで完璧に立証されたと思う。
パレスチナ難民のサナベルの舞踏も可愛かった。
超正統派ユダヤ教徒のシュロモの賢そうな喋り方に好感が持てた。
幼いのに大人びて、英語も上手だ。
ユダヤ人はやはりみんな眼鏡を掛けていて、
アタマがいいのだなあ。
パレスチナ問題の核心みたいなものには一切触れていない。
可哀相な境遇を説明しただけ。
パレスチナ問題をダシに子どもを遊ばせただけだ。
それはそうだろうと思う。
パレスチナがどうなるかはアメリカが決めるのであって、
この子どもたちには関係がないという冷酷な現実に、
米国、イスラエル当局、パレスチナ自治政府から集まったスタッフが
正面から切り込めるわけがないのだ。
これはパレスチナ問題をどうこうというのではなく、
可愛い子どもたちを観て少しばかり心を痛め、
和んで帰るための映画だ。
「お茶を濁したね」などと皮肉を言わずに、
そういうものだと思って観ればいいと思う。
それにしてもパレスチナの地に生まれるということは
幸運なことだと思う。
イラクにも、チェチェンにも、コンゴにも、その他至る所に、
もっとひどい境遇の子どもたちがいて、
そちらでは子どもたちの意志が
その世界の将来を決めるかも知れないところもあるにも拘わらず、
彼らがスクリーンで「可愛い、可愛い」と
愛でられるチャンスはないのだ。
(常岡浩介)
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いろんな意味で面白かった。パレスチナ問題を考えよう!なんてことは、
すっぱり捨て去った、実験的な映画だと感じた。
この映画に出てくる子供達は、映画にかかわることで、自分とは無縁だった
はずの世界を垣間見てしまう。
「知ること」は好奇心を満たし安心も与えてくれるけど、一方で今まで見
なくて済んだものが見えてしまう。子供達がそんな体験をして、揺らぎ、
変化していく様を、この映画でじっくり観察できてしまう自分もまた、好奇
心をちょっと満たされるのと引き換えに、なんともいえない後ろめたさを
貰ってしまった。ある人生に余計な刺激を与えて、変化させてしまったような。
とはいえ、こうした刺激が変化の第一歩になるんだと思う。
自分の中で生まれた新しい矛盾も、自覚して乗り越えて行かないと変わ
れないよね。7人の子供達は、かわいいだけじゃなくて、たくましく頼もしい。
いちばん印象に残ったのは、超正統派ユダヤ教のトーラーを学ぶ生徒
達の動作が、「カンダハール」で見たコーランを学ぶ生徒達と同じように
見えたこと。偶然にしては似すぎだよ。
いろんな方向を向いてる子供たちは、このドキュメンタリーの3年間でも
変わってきている。どうせなら、20歳までの彼らを追って欲しい。
過去はともかく、少なくとも登場している7人の子供達全員がこのままで
はいけないと思っている現実があり、それをどう変えていくかは、結局
そこにいる人にかかっているということなんだね(外部の大きな力に翻弄さ
れるかどうかも含めて)。
(PVAL)
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