活動報告


辺見庸講演会



東長崎機関メンバー二人が早稲田大学で開かれた辺見庸講演会に潜入。
700人入る大教室に入り切れない聴衆が通路に溢れていた。
	  
	  
夕方4時から、二次会、三次会が終わる夜9時半まで、
辺見氏はひたすら喋り続けた。
その間ほとんど笑わなかった。
表情をほとんど変えず、低い、抑揚の少ない声で語った。
まるで、ゴルゴ13のようだと思った。
「私はほとんど希望を持っていない」といった。
絶望しかけているにしては、辺見氏は学生を相手に熱心に喋り続けた。
辺見氏は以前、あるところで、私は喋るのが下手で、面白くない、
と話していたが、そんなことは絶対にない。
氏の話は氏の文章そのままだった。
比喩とレトリックがちりばめられていて、
氏が自分で比していたチョムスキーの喋り方と対照的だった。
辺見氏は4月16日を日本にとっても、辺見氏自身にとっても、
もっとも重大な日付となったという。
有事法制が政府から提案された、恐るべき日だと。
辺見氏の友人の一人残らず、
「飼っているイヌもネコも、ハムスターまで、全員」
この法案に反対している。
恐らく、日本人の大半がそうだろう。
しかし、法案は可決されてしまう可能性が高い。
私たちは仕事のあとの居酒屋では、
有事法制を批判して愚痴をたれる。
しかし、翌日になると、またルーティンワークをちゃんとこなしてゆく。
このルーティンワークこそ、日本に有事法制を確実に根付かしめ、
日本に「目に見えにくいファシズム」を育ててゆく強力な力だと、
辺見氏はいう。

数年前から辺見氏は
「現代の日本には鵺(ぬえ)のようなファシズムが育ちつつある」
と訴え続けている。
鵺とは実体の分からない妖怪。
私たちの目に見えやすい軍靴や、制服や、行進行列ではなく、
民主主義の姿をまとった「見えにくいファシズム」が
この国に少しずつ育っているという。
それは菌糸のように少しずつ私たちの生活に根を下ろし、
はじめは見えにくいが、やがて目の悪い人にも見えてくるようになる。
ボストンのMITでチョムスキーと対談した辺見氏は、
「孤立無援で弾圧と闘うことの苦しさ」について、
チョムスキーに尋ねてみた。
しかし、チョムスキーはいった。
「弾圧なんてない。
イラクやトルコで続いている言論弾圧に比べれば、米国の言論会なんて、
せいぜい脅迫状や電話が掛かってくる程度で、こんなものは何でもない。
これほど弾圧の心配がなく、自由な中で、
欧米のメディアはみごとに大政翼賛になり果てた。
新しいファシズムは言論弾圧なんて分かりやすく、
抵抗しやすい方法は取ろうとしない。
私たちが民主主義だと信じて、気がつかないでいるうちに、
いつの間にかすり寄り、すり替わっている」

今回の有事法制とは、今まで見えにくかったファシズムが、
ようやく、かなり目の悪い人にでも見える姿になった
典型的なファッショの姿だという。
辺見氏はだから、これまで政治に関わって来なかったにも拘わらず、
今回だけはありったけの声を挙げざるを得ない。
最後の最後まで反対し、抵抗せざるを得ない。
これまで我慢に我慢を重ねれば、我慢できないこともなかったが、
ここから先は「肌の感触として」我慢ができない。

話が終わったあと、私は「名刺をお渡ししていいですか?」と話しかけた。
「今度のPLAYBOYで、辺見さんとチョムスキーの対談と並べて
掲載していただくことになったんです。ぜひ、読んでください」
といったら、にっこりと笑ってくださった。


(報告・撮影:常岡浩介)