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「うつうつひでお日記 DX」

(2008.9 森川 晃)

「うつうつひでお日記 DX」吾妻ひでお 角川文庫

 売れっ子漫画家である作者自身のうつ病生活の記録である。しばらく前に出版された「失踪日記」(イースト・プレス)の続編にあたる。失踪日記はタイトル通り失踪していた期間の記録で、今回取り上げた作品は、その後の自宅でのうつ病療養記録である。


 うつ病は太古の昔から存在していると思うが、現在ようやく対処を試している段階である。気分に関わることなので、気のせいとして見て見ぬふりをしてきたのだろうか。当方はこの分野には関心があるので多数の本を読んでいる。軽く3桁の冊数に及んでいる。それらのほとんどは健常者である医者、もしくは医療ジャーナリストによる客観的な観察記録である。

医者の記したものには患者を見ることなく、現象への対処だけに固執した作品も見られる。これも問題解決のためには大切なことだが、精神科医のする仕事とは思えない。暴れて困るならば、警察が取り押さえて、麻酔技師が鎮静剤を投入すればよい。「まず、事情を聞く」精神科医の出番はそのあとである。落ち込んで自殺しようとしていた場合でも、話を聞く前に、自殺できない状態に押さえ込むことが先決である。警察か、場合によってはまたまた麻酔技師に登場願うかもしれない。

まあ、なんにしてもこの分野は未成熟で、当方を含む一般の人を読者対象にする本が多数出版されている。それぞれが宗教的であったり、説教じみていたり、化学的であったり、法的であったり、電波的であったり、タッチが多岐にわたる。読者としてはおもしろいが、うつ病の当事者にとっては本では問題解決できないためいらいらするのではないだろうか。


 うつ病当事者の記録は少ないが、ないわけではない。ただ、残念なのはほとんどが自慢話なのだ。かつて、うつだったが現在は成功しているというシチュエーションで余裕をかましているのだ。うつだったころの自分を過度に美化して、その時期を必然にしようとする。過去を消そうとするよりもたちが悪い。有名人の場合はおそらくゴーストにより口述筆記と思われる。うつを過度にデリケートな現象と位置付け、知的レベルを押し上げようとするのだ。本を読む習慣があったとは思えないアイドルが、療養中に哲学書を多数読んで自分の才能に気づき、いずれは作家としてデビューしたいと表明する。

多くは、所属プロダクションのイメージ戦略と思われるが、それでもうつに関する煽りは不適切だと思う。うつ病のようにストイックな病は、まずは自分で解決しようとする。書店で入手できる関係していそうな本は読むだろう。当方のように3桁の冊数を超えていれば、よい本と紙クズの区別はつけられるが、最初は何でも間に受けてしまうだろう。下手な患者の本を読むと病の進行を早めるだけである。


 この本は、うつ病のビギナーでもベテランでも、またその周りの人にもとても参考になる。文章だけでなく、漫画で目立たない背景として詳細状況を記しているので、肝心な点を見逃すかもしれない。何度も読み返すのと新たな発見があるだろう。たとえば、うつ病が始まって、社会の歯車からはずれて自由な時間をすごしていたとする。自宅にいても退屈なので、散歩するようになった。カネを稼いでいないので、なるべくカネのかからないようにしたい。ただ歩き続けていても辛いのでどこか目的地を設定したい。

この本には、作者は頻繁に同じパターンで図書館に出かけていることを記している。毎日、同じテレビ番組を見て、同じようなメニューの昼食をとり、図書館に出かけて、帰りはコンビニでアイスを買って帰る。実際に自分が散歩する立場になって読み返すと、散歩コースの背景がいつも同じであることに気づく。つまり、社会の歯車に組み込まれているときも、はずれたときも、人は毎日同じパターンを繰り返そうとするのだ。本質的にはまっとうに社会の一員として生活している人も、そうでない人も同じなのかもしれない。ちょっとしたボタンの掛け違いで社 会的な評判は相反するのだ。


 また、失踪日記でもそうでしたが、作者は投薬物の詳細を漫画の絵の中に記している。うつ病の薬はけっこう複雑である。うつ病なので、当然高揚する薬を投薬する。しかし高揚しすぎると躁状態になるので、それを抑える薬も必要になる。このように気分をコントロールできない状態では眠ることもコントロールできない。眠る前に導眠剤を飲む。

ところで、人の体は薬に慣れてくる。いずれの薬も慣れに対応するために強力になっていく。導眠剤は、起きることが難しくなるほどきつくなっているので、起こす薬も必要になる。うつ病の人は4〜5種類の薬を1日に何度か飲むことになる。作者も例外ではないので、何度も飲んでいる。一覧にすると味気ないが、漫画で断片的に薬の種類、量、投与時刻、回数を記していて、読者は頭の中で全貌を理解することになる。うつ病は「長いつきあい」になるやっかいな病であることがよくわかる。

作者は現在も日記を継続していて、今後も順次出版されていくはずである。貴重なうつ病記録として期待したい。