ヒマヒマなんとなく感想文|

「不肖・宮嶋のビビリアン・ナイト」


(森川 晃 2008.3)

「不肖・宮嶋のビビリアン・ナイト 上 爆弾ボコボコの巻」
「不肖・宮嶋のビビリアン・ナイト 下 砲弾ドカドカの巻」宮嶋茂樹 祥伝社
(「イラク戦争最前線」加藤健二郎 アリアドネ企画)

 本を入手するにはいろいろなかたちがある。
 まずは、作家による選択である。ひいきにしている作家の作品を手に取る。その作家にすべての作品を手にとる人、多岐にわたる作品を執筆する器用な人の場 合は特定の分野の作品は手にとる人、それに、少し立ち読みをしてから手にとる人がいる。宮嶋茂樹氏は、すべての作品を手にとる人である。

 次に、本の形態である。基本的に「本は量」である。また、本はどこでも読める方がよい。文庫本の形態がよいのだ。かつて、本はハードカバーで本文には良 質の紙を使用した重厚なもので、モバイルには向いていなかった。本は、座って読むものだった。たいていの事象は、ある程度の「量」を超えると、何らかの工 夫が必要になると考えている。東海道新幹線のダイヤの過密さは、大都市の地下鉄並である。混雑時間帯は4分おきに500キロ以上走行する1000人以上が 乗車することができる優等列車が発車する。これに到着分が加わるので、途中駅ではおおむね2分おきに発着することになる。しかも、秒単位で整然と早朝から 深夜まで運行されている。世界に例のない優れたシステムである。高速列車の比較では、速度ばかりが取り立たされるようだが、わかっている人は運用に着目し ている。「本は量」の要求を満足させるためには、できるだけ小さい字で狭いスペースに多くの情報を埋め込み、軽い素材に印字し、総体の表面積も手のひら程 度に収まってほしい。つまり、文庫本とハードカバーがあれば、文庫本を選ぶということである。最近は最初から文庫で書き 下ろしという作品もあるが、一般的にはハードカバーで出版し、しばらくしてから文庫本化している。文庫本化までのインターバルは作家や出版社によっていろ いろである。特に図式化していないが、文庫化されないケースを含め、なんとなく文庫化の時期は勘でわかる。宮嶋茂樹氏の場合は、まあメジャーなので、数年 で文庫化される。

 文庫がベストだが、ハードカバーもそれなりに入手している。これは文庫化される数年が待てない作品や、文庫化される可能性の低い作品である。当方は近い うちに読みたい本を手帳に記していて、常時200冊くらいである。宮嶋茂樹氏には悪いが、200冊を飛び越えるほどでもない。つまり数年は待てるのだ。

 ここまでは、あくまでも本の内容に着目した純粋な要因による運用手順である。本は無料ではないので、価格という要因もある。文庫は価格が安価なのでそれ を待つという理由もある。しかし、古書店を利用すると価格の障壁がくずれることがある。実は、この作品は「下巻」のみが105円で販売されていたのだ。 ハードカバーの出版から3ヶ月くらいで、破格である。上下巻の片方だけというのは、このような価格設定をされることがある。全5巻のハードカバーのセット がおおむね2000円くらいで販売されていて、それを数件の古書店をめぐり、3ヶ月くらいかけて1冊ずつ買い求めて、525円で済ませたこともある。今回 もこの手にいこうと考え、とりあえず下巻を入手した。それから1年以上を経て、上巻が見つからず、結局「定価」で新刊を購入してしまった。これにも理由が ある。そろそろこの本は文庫化される時期と察したのだ。文庫化されると105円で入手した下巻が浮いてしまう。なんとか下巻の存在理由がほしかったのだ。
 このように本の入手は複雑な判断を要する愚かなタタカイなのである。


 さて、内容だが、イラク戦争開戦時の取材顛末である。イラク戦争は戦術を分析したり、勝敗による歴理的影響を考えたりするような公平な戦いではない。勝 敗は戦前から明確で、すべて戦勝国の計算通り事が進むものだった。これでは戦術マニアは満足できないだろう。戦勝国が武器を試射しただけである。硫黄島の 戦いのように戦後60年を経て語られることはないだろう。イラク戦争開戦のころには、すでに1年前のアフガン戦争は話題にもならない。戦争には主催者に大 義名分があるものだが、それ以外に民レベルのさまざまな専門分野において戦争の効果は分析され、それが歴史になっていくものではないだろうか。アフガンも イランも、単なる破壊であり、歴史には何も刻まないと思う。

 このように一過性の話題にしかならない戦場での記録に、上下巻で800ページを超える大作を編むのはなかなかのものである。重厚な単行本なので自宅で 座って読むしかなかった。そのため断続的に10日を要したが、まあスムースに読了した。良い本はゴールに近づくと「終わらないでほしい」と思うものであ る。この本もそうだった。これについても困ったことがある。とても良い本はゴールに近づくと、敢えて速度を落としたり、ときにはゴールに到着したことを忘 れるために再読することもある。「まだ読みきっていない」ということにして1ページ目に戻るのである。さすがにこのような本はめったに出合わないが、これ までに十数回は出合ったことがある。例えば、井上ひさし氏の「吉里吉里人」は2度目のゴールのときもスルーして1ページ目に戻った。大作なので、約1ヶ 月、少なくとも自宅では吉里吉里人しか読んでいなかった月があった。まあ、その月も外出中に40冊くらいの文庫本は読んでいるので、ひさし病にはならな かったが、それでも3回目の読書速度は驚異的な速さだった。そういえば、当方には数冊、数年に1回は読み返す本がある。これらは 油断すると早く読めてしまうので、意識して速度を抑えている。本と速度の関係もなかなか微妙な相関があるのだ。

 ところで、本書の取材時に当方の友人である東長崎サイト主宰「加藤健二郎」も現地で取材活動をしていた。容易に取材できない現場で同じ被災地を微妙に異なる視点で取材している。加藤氏も取材記録を出版している。


「イラク戦争最前線」加藤健二郎 アリアドネ企画

 加藤氏は宮嶋氏のようにおもしろおかしい方向に脱線しないまあ生真面目なタッチである。取材期間も同じようなものなので、本のページ数の差が宮嶋氏が脱 線している部分と考えてもよいかもしれない。ということは、ビビリアンは500ページくらいが読み物ということになるかな。決して批判しているのではな い。このあたりは個性なので、無条件に尊重しているつもりである。ちなみに、狭い戦場の行動範囲で、彼らは何度も接近していると思う。お互いに同業者とし て知人同士である。少しくらいは相手のことも記しているかなと気にしていたが、800ページで実名が記されていたのは1箇所だった。(見逃したかもしれな いが、それでも多くはないはずである。)

 戦場カメラマンは稀有な職業だとは思うが、同好の士がいるのはうらやましい限りだ。しかも二人ともホンモノである。加藤氏はよく知っているので断言でき る。宮嶋氏は対面したことはないが、少なくともこれまで出版された本を読んだ印象としてはホンモノとしか思えない。メジャーな職業でもニセモノを除くと案 外仲間は少ない。しかもニセモノを見つけるのはめんどうである。稀有な職業でもそのあたりのミスチョイスのリスクは少なそうだ。