ヒマヒマなんとなく感想文|

「また逢いましょう」


(2008.2 森川 晃)

「また逢いましょう」瀬戸内寂聴、宮崎奕保 /朝日文庫

 この作者は両名ともメジャーで、特に当方が感想を記さなくても万人にとって間違いなく良いものであるはずだ。この本だけでなくどの本にも無数の名言が含 まれていて、ユーモアも見え隠れする。説教くさくなく、直接的な宗教の高慢さがないのでとても読みやすい。また読書時の心境によりいくつもの受け入れ方が あるのも有意義である。
 今回、ここに取り上げたのは「出家は生きた自殺」という説話である。これは、この本だけでなく彼らの多数の本にも記されているし、いかにも正論である。

しかし、当たり前の論理でもときどき誰かに説いていただいて再確認しなければならないことがあると思う。自殺直前の心境でもなく、特別喜びに満ちているわ けでもない。それでも、究極の論理をいつもどこかに覚えていることが、あらゆる判断の局面で役に立つように思う。論理は端的で、それでいて真理が深いほ ど、迷いがない。迷いがないので後悔もしない。

 以前にも記したと思うが、現在は軍事ジャーナリストでありミュージシャンでもある加藤健二郎氏と近い位置にいたわずかな期間に、彼から「山の分岐で正し い道がわからなかったら迷わず上り坂を選ぶ」という話を聞いた。彼は登山家でもあるので、説諭のための象徴ではなく、本当にマウンテンの「山」の分かれ道 でも判断のことを話している。当方は迷うことが好きではないので、このような判断基準をたくさんもっている。

(1)耳に心地よい音楽を見つけたとき、複数 のCDを発表していれば、まずはライブ盤を聴いてみる。

(2)興味深い本に出会ったら、その作者の初期の作品から順に読む。

(3)土地勘のない場所で食事をするときは、チェーン展開している店舗をさがし、慣れたものを選ぶ。見つからないときはラーメン屋か中華屋をさがし、みそラーメンかチャーハンを注文する。

(4)あてもなくどこかに出かけるときは、とりあえずそのとき入手できる最も遠方へ行く夜行列車か夜行バスに乗車する。旅程は終点から戻りながら決めていく。


 それぞれの真意は、次の通りである。

(1)ライブではごまかしが効かないので、本物かどうか判断できる。また、余程の変わり者でない限り、それまでの名曲を集めるので駄作が少ない。

(2)デビューが25歳ならば、デビュー作の工数は25年である。2作目がその半年後ならば、工数は半年・・・ではないだろう。デビュー作で表現できな かった25年の間に浮かんだアイデアを使っている可能性が高い。初期の作品は、筆致テクニックの完成度は低いがアイデア満載で作者の本質がよくわかる。

(3)チェーン店は無難である。また、個人経営でもラーメン屋、中華屋ならば、それほど値段は高くない。ラーメンのうちでみそラーメンはみそが強くて、失敗のリスクが少ない。チャーハンは料理人の力量が試される難しい料理にもかかわらず安いので、まずくても後悔しない。

(4)出かけるかどうかという基本的な迷いがない。終点に到達してしまえば、好むと好まざるにかかわらず「戻る」という旅行が強いられる。 
そして、自殺したくなったら・・・消えてしまえばよいのだ。出家は合法的なリセットである。そこまでしなくてもリセットはそれほど難しくない。家を出て、 ベースとする土地を変えてしまえば、犯罪者でもない限り、新たな暮らしをすることができるはずである。

このことに懐疑的な人は、きっと本気で自殺する境地 には至っていないと思う。この世から消えなくても、この世にはいくものわが世があるものである。この世から消えるのは、この世がひとつしかなく、世の中の 誰もが自分を認知していると考えているのではないだろうか。認知されているから、疎外されると受け入れられる世の存在はないと考える。ずいぶんエゴイス ティックな考えである。自分を認知しているのは世の中のほんのわずかな人で、少し場所を変えれば、評価は全く異なるのだ。死にたくなったらとりあえず上記 (4)を適用して遠方へ出かけて、戻りながら、戻るかどうかを含め長い旅程を決めていけばよい。

 当方は、なぜか「道路」に深い関心があり、そのために頻繁に全国各地に出かける。撮影機材を所持し、分刻みのスケジュールも組んでいる。シュミではある が、旅行ではなく業務出張に近い形態である。これとは別に、ほとんど手ぶらで、旅程も決めずにでかけることがある。つまり年に何回か(4)を適用している のだ。これはプチ自殺なのかもしれない。