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「洞窟オジさん 荒野の43年」加村一馬 小学館 |
久々におもしろい本に出会った。著者は幼少期にひどい家庭内暴力を受けていた。それに耐えかねて家出し、そのまま43年間、タイトル通り山中の洞窟や、 河川敷で暮らした。その間の様々な出来事を素朴な筆致でうまく表現している。感動する話や、きつい話、ユニークな話がそこかしこに散りばめられている。 群馬県の桐生市近郊の大間々が生家だが、ここからなんとなく知っていた足尾銅山を目指して鉄道線路に沿って山中を歩いた。リュックサックには家から持ち出し た干芋が満載で、それなりに計画的だった。家出を断念して家に戻るにはずいぶん遠くまで来たときに、飼犬シロが追っかけてきた。寂しさを紛らわせるには丁 度良かった。シロは賢犬で、その後、命を助けられることになった。山中の洞窟を見つけ、何とか風雨を凌げることができた。何日も歩き続けた疲れのせいか、 安心したせいか、高熱に見舞われて寝込んでしまった。このとき夢の中で一線を越える間際でシロに起こされた。シロはおとなしい犬で決して人を傷つけるよう なことはしなかったが、このときは著者に訪れた死への誘いを断ち切るために、耳に噛み付き思いっきり引っ張って いたのだ。耳は血だらけである。シロには最後まで家出ということがわからなかったかもしれない。ただ、飼い主である著者がいなくなることに耐えられなかっ たのだろう。 シロの死後、人を避けるように暮らしやすい場所を探して、山中を彷徨った。このあたりは詳しい地名が明記されていないが、新潟県を経て、山梨県に至って いる。新潟県では、山中の珍花が売れてカネをつかむこともできた。完全に人を避けていたのではなく、人と出会えばそれなりに交流していたのだ。人を避けた 山中生活ということでは、戦後の数十年間をグァム島で暮らした横井さんやルバング島の小野田さんが有名である。彼らは大人で、意図して人を避けていた。と ころが著者は、子供のころから山中生活をしていて、深い計算は見られない。もらえるものはもらうのである。珍花は詳細を記していないが、売れた価格からし て、おそらく蘭だろう。山中のドライブインの駐車場で蘭を売って、数万円のカネを手にしたのだ。カネのありがたみと虚しさも体得した。 カネへの深入りを避けて、最終的には河川敷で魚をとって生活するようになった。このときは茨城県に至っている。ときにはここにやってくる釣り人との交流 もあった。そして、近所の人が著者のところに魚を売ってもらいにくるようになった。ついに、近所の釣り人と懇意になり、彼の家に居候することになった。彼 の経営する会社の世話になり、仕事(家の内装工事)を覚えた。ようやくまっとうな社会生活ができたときには家出をしてから43年を経ていた。 読後感だが、珍しくあらすじを記してしまった。名著だと思うが、ベストセラーでもないし、あまり人の目に触れていないのでまあいいか。 上記以外にさらに2つほど、気になった箇所を記す。 ひとつは、カネの意味がわかり、日雇い仕事をしていたころのことである。この日は、埼玉の方に仕事に出かけていた。そこで、どこかで見たことのある人に 出会ったのだ。著者の兄である。約40年ぶりの再会である。顔を見てもわからなかったが、お互いになんとなくわかったらしい。兄が著者に名前を言わせたこ とで弟であることがわかったのだ。シロの顛末を話したら兄は泣いた。ちなみに兄も家庭内暴力に耐えられず、著者の家出した半年後に同じように家出したらし い。働ける年齢なので、著者のように山中を彷徨うことはなかったとは思うが、困った父だったのだ。 もうひとつは、山中の洞窟に暮らしていたときのことである。シロがいたころは、気づかなかったのだが、森にはたくさんの動物がいたのだ。ある日、洞窟に 狸がやってきた。最初はこちらの様子を見ていただけだが、だんだん距離を縮めて、ついには著者に添い寝をするようになった。著者は寂しさを紛らわすには丁 度よいと考えて静観していた。しばらくするともう1頭やってきた。夫婦のようだ。そして奴らの子供もやってきた。数頭の狸が添い寝をするようになったの だ。そうなると野生の狸の臭いが気になる。臭いのだ。たまらない。かといって、奴らを追い出すのは気の毒だ。著者は荷物をまとめてほかの場所を探すことに した。洞窟を出て歩き出すと、狸の親子が「どこに行くんだい」という感じで付いてきた。結局、奴らの行動範囲を超えるくらい遠くまで歩き通して、振り切った。 野生動物は、凶暴で人に慣れないという定説があるが、本当にそうだろうか。当方は、北海道で何度かキツネに接触している。奴らは結構フレンドリーであ る。自転車で道東を走っていて、道路から見える草原にキツネがいたので、ここで休憩することにした。奴の視界に入る距離のところで草の上に座り込んで、水 を飲みながら地図を見ていた。 すると徐々に奴が近づいてきた。餌がもらえると思ったのだろうか。「餌はあげないよ」と奴に気づかない振りをしていたが、奴 は目の前にやってきてこちらをのぞきこんでいる。手を差し伸べると舐めてきた。触っても逃げない。もちろん公約通り餌はあげなかったが、奴らがやってきた 目的は餌ではないようだ。前の奴をかまうことに夢中になっていたのでしばらくは気づかなかったのだが、右にも左にもキツネがやってきていた。そして、背中 のあたりでごそごそやっている奴もいた。右側の奴が右腕のシャツの袖を軽く噛んで引っ張る。前の奴は、膝に前足を乗せて、本格的に顔を舐めてくる。奴らに 気を取られていると後ろの奴は背中をよじ登ってきて、前足を両肩にかけ、右肩から顔を出している。奴のヒゲが首筋にあたっ てくすぐったい。 そうこうしているうちに、自転車で100キロ以上走ってきて疲れていたせいか、仰向けになっていた。すると、前に居た奴は腹の上で仁王立ち、背中にいた奴は頭に前足を乗せて、目のあたりを舐めてくる。思わず目を閉じたら、そのまま眠ってしまった。しばらくして目を開けると、周りには数個の 丸くて茶色い毛玉が転がっている。数頭のキツネが添い寝をしていたのだ。そういえば、左にいた奴は、ほかの奴らが当方にちょっかいを出しているころから丸 まって寝ていたなあ。危害を加えないことがわかれば、ちょっと大きいほかの動物のそばは、きびしい自然界においては案外安全な場所なのかもしれない。結 局、奴らを起こさないにようにそっと歩き出して、自転車で今夜宿泊する帯広に向かった。 動物との接触は話してもなかなか信用してもらえないが、著者も当方も一人だったので、動物は気を許したのだと思う。こちらが二人以上ならば警戒して近づ かないだろう。一般的には一人で動物の生活領域に入る機会はあまりないので、わからないのは仕方がないだろう。この本ではクマに追いかけられて、最後には 樹上で逆襲した話も記されている。狸やキツネは大丈夫だが、さすがにクマは話してわかる相手ではないらしい。 |