ヒマヒマなんとなく感想文|

「別冊太陽 宮脇俊三」「父・宮脇俊三への旅」


(森川 晃 2007.7)

「別冊太陽 宮脇俊三」宮脇俊三 平凡社

 宮脇氏の書いたものは90%くらいは読んでいると思う。単行本にならなかったもの、子供向けの絵本の一部を読んでいないくらいである。また、当方も宮脇氏の本に触発されて15年くらいかけてJR全線の完乗もした。さらに5年で、私鉄を含む国内のすべての旅客鉄道線に完乗した。特に鉄道マニアではない。単に旅行の一環である、また、宮脇氏の本には、自宅住所が記されているので、容易に当人にアクセスできるが、それもしなかった。距離を置いてリスペクトしていた。作家に直接関わるのではなく、作家と同じことをしてその功績を共感できたことで満足できたのだ。深入りは粋ではないとも思っていた。

  この本では、容易に深入りすることができる。読まなくても良いかと思ったが、もう宮脇氏の新たな作品が世に出されることもないので、思い切って手にとってみた。そこには、鉄道路線の白地図に乗車区間を順次塗りつぶしていった「塗り地図」が掲載されていた。塗り地図については著作で説明していたので、おおむねどのようなものか想像はできていたが、ズバリ見せられるとさすがにその迫力はすさまじい。一目瞭然とはまさにこの瞬間である。当方も同じこと(完乗)をしていたので、自然に同じもの(塗り地図)を作成していた。完乗すれば、単なる鉄道路線図である。これだけを見せられても、一般の人はそんなに感動はしないだろう。しかし、乗車機会ごとに塗りつぶしていった経緯も共感できる当方には、これを見れば作者の性格までも読み取れる。

  また、当方は本が好きで「本棚を見ればどんな人なのかわかる」と半分冗談で豪語しているが、この本には宮脇氏の書斎の写真も掲載されている。自著以外に参考にした本も多数並べられている。この本棚が、当方の本棚によく似ているのだ。地理や歴史の本、統計資料が多く、「一人でどこかに行くのが好き」「気になるところがあれば行って見てみたい」「気になることがあればきちんと調べたい人」の本棚である。鉄道マニアの本棚とは異なると思う。

  パソコンは使っていなかったようだが、時代が少しずれていたら資料整理のために使っていたのではないだろうか。そうなれば当方の自室そのものである。

「父・宮脇俊三への旅」宮脇灯子 グラフ社

 作者は宮脇氏の娘で、父が小学生のときに中央公論社重役から作家に転身している。父の冒険を十分理解できていた。その後、社会人になるまでの10数年が、父の作家としての最盛期と一致する。この本では当時の家の様子がよくわかる。宮脇氏は意識して家を描写することはなかったが、敢えて隠すこともしていなかった。先述のように自宅住所を公開していたこともその一環だろう。当方は、宮脇氏の作品を読んだときの記憶をつないで家を想像していた。この本では、家に関するエピソードを家族の視点で記していて、同じ事象でも立場が異なるとずいぶん解釈が違うことがわかり、なかなかおもしろい。このおもしろさは、宮脇氏の作品を多く読んでいるものだけが得られる特権だろう。

  宮脇氏はある時期から作品のパワーが落ちてきていた。当方は相変わらず出版されるものは、即座に読んでいたが、かつてほどの感動がなくなっていた。出版間隔も大きいし、内容量も少ない。単なる旅行記になっていた。転機は65歳くらいだろうか。そのころの家の様子もこの本には記されている。作者の就職時期と重なり、父のコネでこの本の出版社に就職するくだりがなかなかおもしろい。父は筆を折ったわけではないが、かつてほど書かなくなり、取材(鉄道乗車)にも行かなくなり、家でゴロゴロして、酒びたりだったようだ。ときに出版社から催促にやってくると絡んで、追い返していたらしい。加齢のせいでかつてほど動けなくなった自分に嫌気がさしていたのかもしれない。それでも、娘が父のかつての仕事である編集に携ると、鋭い助言をしている。その後、作者である娘は出版社を辞め、自著をしたためるようになった。作品は最晩年の父に推敲してもらった。娘であることには関係なく厳しいダメ出しをして、結局、この本はお蔵入りになった。編集に関しては本当にすぐれた能力を持っていたことがわかる。自身の作品の分析も的確で、当方がパワーダウンしたと感じたのは間違っていなかった。宮脇氏には、納得できるものが書けなくなっていることが誰よりもわかっていたのだ。

  なお、この本「父・宮脇俊三への旅」は、退社後、最近になって元の職場からオファーがあり、フリーの作家として記したものである。娘は、父と同じように編集者から作家へと転身しているのだ。