ヒマヒマなんとなく感想文|

「客室乗務員は見た!」


(森川 晃 2007.6)

「客室乗務員は見た!」伊集院憲弘 新潮文庫

 当方は飛行機に乗るのが嫌いである。飛行機がなぜ飛ぶのかわからないとか、落ちるのが怖いというような幼稚な理由ではない。一応理系なので、滑空原理も 事故確率も理解しているつもりだ。飛行機というハードウエアではなく、運用面が面倒くさいのである。チケット入手も空港カウンターでいきなり「札幌1枚」 という具合にはいかない。事前に電話やインターネットで予約したり、旅行会社で購入しておいたり、インターネットで直接購入するチケットレスというかたち (当方がいつも利用している形態)など、いろいろである。空港カウンターで購入するのはキャンセル待ちというケースがあるが、カウンターの役割のほとんど は予約を確認するくらいである。また、出発直前の空港到着ではまずい。遅くとも20分前には来いと言われる。20分というのは結構長い時間である。新幹線 ならばそんなに早くホームに上がることはない。まあ、ここまでは航空機の手配や荷物の搬入などの都合もあるだろうし我慢ができる。問題はターミナル内、機 内の客扱いである。簡単に結論を言うと「ほっといてもらいたい」のだ。自分の乗る便のターミナルは自分で探すし 、出発時刻もわかっている。田舎の駅で1日3本程度の特急列車を待つケースのように、特別な待合室に乗客を案内して集めておいて、列車到着前に駅員がホー ムに案内するのは余計なお世話である。

機内では水平飛行になると忙しそうにお茶やお菓子を配る。国際線ならば食事も配る。ビジネスクラス以上では離陸前の機内でも飲み物を配る。なぜ配るのだろ うか。飲み物も食事も欲しいときに乗客自ら売店や食堂に行けばよいと思う。特急列車のように有料のワゴンサービスがあっても良い。いずれにしても乗客の嗜 好に任せてほしいものだ。航空機には自由に立ち歩いたりすることに制限があるならば仕方がないが、配られるままに飲食をしなければならないのは理解できな い。と、ここまでは言うほどには文句はない。問題は、これらの過剰サービスを享受するのがあたりまえと思っている乗客が少なくないことである。

 ターミナルに乗客を出発前(出発20分前)に集めておいたにも関わらず、遅刻するたった一人の乗客のために、全員の出発が遅れてしまう。これは混雑する 空港には致命的で、ほかの便の出発も遅れてしまう。遅れた便のとんぼ返りの場合は、到着先のダイヤまで遅延させてしまう。当方も秋田空港から名古屋空港ま での便を利用したとき、出発が70分ほど遅れたことがある。理由は名古屋空港から秋田空港へ向かう便の出発が遅れたせいである。この便のとんぼ返りである 当方の利用する便が影響を受けたのだ。当方は出発20分前に秋田空港に到着していたので、出発まで90分待ったことになった。飛行機のチケット購入時には 名前と連絡先の記入が義務付けされているので、航空会社は当方の自宅に電話をしていたのだが、出先ではどうしようもない。携帯電話を連絡先にしておかな かった当方が悪いのかもしれないけど。
 利用者に関係なく出発時刻になれば有無を言わせず出発すればよいのだ。一人の遅刻者を待つなんて、ダイヤがあいまいな田舎のローカルバスのようだ。

 機内でも過剰サービスに、さらなるサービスを求める乗客がいる。「コーヒーと日本茶、どちらがよろしいですか」と訊かれているのに、「両方」「オレンジ ジュース」「ビール」「水割り」「とりあえずコーヒー、さっぱりしたいので後から冷たいほうじ茶」。いずれにも丁寧に対応しなければならない。無料という こと、それに相手が反抗しないお姉さんということなめているのではないだろうか。新幹線ではあり得ないやりとりである。お姉さんへのわがまま放題の態度を 見ると気分が悪くなる。

 この本は、国際線における各国のわがままな乗客とのやりとりの記録である。勘違いをしている人は、老若男女問わず、世界中どこにでもいることがわかる。 旅客機の利用者は、かつてはアッパークラスだけだったので、それなりのサービスしていた。その後、金だけで教養の伴わない似非アッパークラスが利用するよ うになり、今では庶民も普通に利用している。定着していたとしてもアッパークラス用のサービスに固執する必要があるのだろうか。規制緩和により、サービス は緩いが料金の安い航空会社の便が就航するようになったが、経営は難しいようだ。結局、旧態依然の老舗航空会社に事実上吸収されて、ゆるいサービスは定着 しない。これは過剰サービスを利用者が求めているということではなく、新規加入会社の便数の少なさが敬遠の原因だろう。まあ、主因は老舗航空会社の自己防 衛のための陰謀だと思うが。

 結局、航空会社は料金を下げずに、これまでと同様のサービスを続けるようだ。
 わがままを言う大人はいまさら教育できるものではないが、機内の「わがままを言ったもの勝ち」という雰囲気は自己判断のできない子供にはあまり見せたく ない。「ぼくも何かわがままを言ってみようかな」と思うはずである。アテンダントはそれを受け入れるし、教養のない親はそれを制止させることもない。「乗 せてやる」という態度が露骨だったかつての国鉄はさすがにきついが、公共交通機関は最低限のモラルを教える場であってほしいものだ。