ヒマヒマなんとなく感想文|

「コマ大数学科特別集中講座」


(森川 晃 2007.4)

「コマ大数学科特別集中講座」ビートたけし、竹内薫 フジテレビ出版

 書店の割と目立つコーナーで数学の本を見かけるようになってきた。ちょっとした数学ブームなのである。これらの数学本は、数学現役の理系学生よりも、理 系大学を卒業してずいぶん経ち、数学に関わらないようになって長いおじさん連中に注目されているらしい。つまり、当方のことである。きっかけは、最近に なって数学に深い関心を示している「ビートたけし」で、彼の数学に関する発言や行動が、本の売れ行きに影響しているのだ。おじさんはあまりテレビを見ない が、本に抵抗はない。週刊誌に連載されている彼のコメントに数学のネタが記されていると、理系だったおじさんは気になって書店に赴く。ズバリ書籍紹介され ていれば、その本を手にとってしまう。彼のコメントはわかりやすい表現で、誰でもなんとなく理解できるが、紹介された本は専門書なので、理系でなければ理 解は難しい。ちょっとした優越感がストレス解消につながる。

 この本は、ビートたけしの数学好きが高じて企画されたテレビ番組「コマネチ大学数学科」の紹介本である。番組は東京ローカルの深夜放送らしく、当方の視 聴エリアでは半年くらい遅れて、火曜深夜(25時ころ)に放送している。当方もおじさんなのでテレビはあまり見ないので、いつも見ているわけではないが、 放送時間帯にちょうどテレビを見る状況ならば、なるべく見るようにしている。バラエティ形式だが、根幹はまじめな数学番組である。NHK教育の数学番組よ りも「見せる」センスが良いので、結構楽しめる。ビートたけしが本当に数学好きであることもよくわかる。テレビ番組なので「作られた」部分はあるかもしれ ないが、彼の図形認識の鋭さが突出している。

 深夜放送という自由な枠だが、30分という時間制限や、一応テレビ番組なので理系だけに視聴者を絞れないなどの縛りのせいだろうか、数学の真骨頂である証明問題の設問がほとんどない。一見難しく見える数列や図形の変化パターンを単純化して答えを導くものが多い。

 「1、4、9、16・・・と続いて、100番目はいくつか」
 実際にはこんな簡単な設問はないが、代数ならばこれに類するもので、理系ならばすぐにピンとくるだろう。
(番組のパターンは、まずはこのような簡単な設問をしてから、1000番目までの積算値を求める設問をして、ビートたけしと現役東大生チームが20分以内 に解くというかたちになる。余興として、事前にコマ大チーム(たけし軍団の芸人)が1+4+9+と順に足し算をしていくシーンを撮影しておいて、それを流 してバラエティ色を出している。しつこいようだが、これは当方が今適当に記した設問で、番組ではもっと難解な、解説時に高等数学を持ち出すようなレベルの 設問をする。)

 ビートたけしは芸能人にしては自然に歳をとっているように感じる。無理をせず、そのときにやれることをやっている。顔つきもその時々で変わっているが、 気にする様子もない。老後は数学者になりたいらしい。学者にならなくても、かつて数学が好きだったおじさん連中の目覚めに寄与した功績は大きい。当方は二 十歳まで数学しか興味がなかった。数学というより数字である。それ以降は本にはまった。本というよりも活字である。活字媒体ならば本でなくても何でも読む ようになった。高じて、活字が見あたらないと禁断症状を起こすようになっている。数字は少ない情報から理解するまでに頭で展開していくものだが、活字は多 い情報から理解に必要なものを選択するものである。後者は場合によっては頭(脳)ではなく目でも可能である。数字は脳を使わなければ理解できない。二十歳 までは数字なら何でも受け入れたが、果たして今はどうだろうか。電話帳や時刻表を読んで満足していた子供のころがなつかしい。実は当方は道路に特別な関心 があるので、毎月交通量の統計資料は読んでいるが、確実に読んでいる数字はこれくらいである。統計資料からはいろいろな ことが読み取れる。大型集客施設ができたとか、企業が誘致されたとかのローカルなことから、景気のよい町とそうでない町、またその変遷も読み取れる。この とき確実に脳を使っている。まあ楽しみで習慣になっていることなので脳は意識したことはないのだが。

 数字は絶対的な答えを秘めているが、求められたものの答えは自分で導かなければならない。選択の活字に比べて答えに至るまでの時間はかかる。これが数字 離れのネックになっているのだろうか。1日300ページ本を読む習慣を20年以上継続していて、これをクリアできない日はちょっとした罪悪感さえ覚えてし まう。たまにはゆっくり数字をながめる日を設けてみようかと考えている。
 ところで、二十歳までの学生時代に理系でよかったと思うことに手持ちの教本が少ないことがある。文系の人は膨大な本に目を通していて、その書籍代も安く ない。当方は薄い冊子に数行で記された設問を解くために膨大なメモ用紙を抱えていただけである。数学は金がかからないのだ。今は金があるから本を読んでい るだけで、金がなくなれば自然に数学に戻っていくのかもしれない。当方には世知辛い理由で自然に歳をとることしかできないのだろうか。