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「硫黄島からの手紙」

(硫黄島6)

(加藤健二郎 2006.12)
「硫黄島からの手紙」
監督:クリント・イーストウッド
出演:渡辺謙、二宮和成、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童他

 第一線に守備隊を配備して激戦の中でアッという間に死んでいくことを選びたがる日本軍幕僚陣の中で、洞窟にたてこもって徹底抗戦に作戦変更してゆく栗林中将は孤立していた。軍事の専門家でなくても、「激戦の中でアッという間に死んでいく」作戦が無意味であることはわかるであろう。では、なぜ、日本陸軍士官学校出のエリートたちは、「激戦の中でアッという間に死んでいく」を好んだのか。それは、日本人という民族が、精神的にも肉体的にも弱いからであろう。
圧倒的な敵の勢力下での負け戦を終わりなき長期戦として戦い続けられる日本人エリート層には、かなり少なそうだ。

 この日本軍人の精神と対照的なのが、映画「大脱走」である。捕虜となっている米英軍人は「捕虜になった場合、可能な限り脱走を試み、それが不可能な場合は、1人でも多くの敵兵を自分たちの監視任務に就かせ、敵の前線配備兵力を減らすことが非常任務となる」と、敵であるドイツ軍捕虜収容所長に対して堂々と述べるシーンがある。

 栗林中将は、硫黄島の全軍に対して、玉砕(全滅突撃)を禁止していたが、幕僚の中には、この命令に違反して、部下を無駄に死なせた者がいる。日本軍は、欧米諸国に比べると、最も命令違反の多い軍隊である。特に中堅幹部以上の命令違反が多いのが日本軍の特徴だ。そして命令違反した幹部を明確に処罰処刑できないのが日本軍の弱さである。一方、末端兵士に対する感情的な処罰はかなり激しく、この点においては世界一醜い軍隊かもしれない。

映画中の栗林中将が、参謀ではないのに参謀肩章をつけていたことに、マニアたちは失望していたが、そういう時代考証的な細部よりも、
論理的で合理主義な米軍を描いた「父親たちの星条旗」
感情的で精神論的な日本軍を描いた「硫黄島からの手紙」
として見ると、
米国人視点では、硫黄島には、栗林中将の良き参謀は存在せず、栗林自身が、司令官兼参謀と見られていたのかもしれない。

>>「硫黄島からの手紙」オフィシャルサイト

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続く