ヒマヒマなんとなく感想文|

「名門高校人脈」


(森川 晃 2005.10)

「名門高校人脈」鈴木隆祐 光文社新書

 出身高校とは目の付けどころがユニークだ。出身大学の場合は選択肢が少ないし、18歳までに「気づいた」才人が除かれてしまう。昔はワルだったが、レベルの高い大学を卒業したという自慢話よりは、逆にこどものころは神童と呼ばれていたが、高校で「気づいて」世間に飛び出した人の話の方がいろいろなパターンがあっておもしろい。ワルの更正物語はワンパターンで世間受けは良いとは思うが、受け身のテレビドラマを正視できない類の人には、恥ずかしくて見ていられない。ワルは最期までワルでいてほしいし、ワルを維持するのは体力ではなく強靱な気力が必要なのだ。更正したのは精神が衰えただけである。
 さて、「気づいた」才人でも高校くらいまでは地元でまじめなふりをしているものである。高校までは正体を隠しているのだ。いろいろな分野の著名人にはときに才人が混じっている。何となくそれはわかるが、おおむね出身大学を知って納得していた。しかし、出身大学のレベルが高くても「たいしたことはない」ように見える人も多い。むしろ、このような学歴に負けた人たちが目立って、大学のレベルへの信頼を失っている。
 この本で、レベルの高い高校出身者のラインナップを見ると、本当の才人グループが見えてくる。東京、大阪などの大都会では高校の数が多すぎてリストから漏れてしまう才人が多いが、地方出身者は例外なくリストに載る。県内随一のレベルの高い高校は、県内各地から才人が集まる。すでに自宅からの通学ではないので、大学のスタイルと変わらない。ただ、ここでは都会の進学校のように受験一辺倒ではないので、高レベルの大学に進学することは難しい。人として、純然たる教育を施される。大学受験には受験テクニックを有するものが有利であるのは事実である。しかし、そんなことは才人の成長には本来は関係ない。大学はテクニックで進学するものだが、高レベルの高校は本来の才能で入るのである。この本にも、ある地方では「地元の国立大学出身者よりも、この高校の出身者の方が尊敬される」と記されている。
 出身者リストは表形式ではなく、読み物のかたちになっている。資料として活用するならばEXCELあたりで電子化しておくと楽だ。でも、それでは味気ない。やはり読み物として全体の印象をおぼろげに感じる方がおもしろい。
 ビートたけし氏は天才と呼ばれ、当方も尊敬している。その相方のビートきよし氏はダメな人の代名詞のように扱われている。しかし、きよし氏は山形の名門高校出身者である。たけし氏は母親のスパルタ教育を受けて、そこそこの(この本には載らない)都立高校出身である。もしかしたら本質的にはきよし氏の方が才人なのかもしれない。たけし氏は明治大学入学後に「気づいて」中退し、芸人の道を選んだ。そのとき、きよし氏は兄弟子としてたけし氏を指導する立場にあった。つまり、きよし氏は高校の時点で「気づいた」のだ。もう気力がないかもしれないが、きよし氏が自伝本を出したら是非読んでみたい。