作者は1970年に開催された大阪万博には出かけていない。この本は当時子供だった人の思い出をまとめたものである。子供の視点なので高貴な建前を知らずに本音を語っていてなかなかおもしろい。いろいろな印象があったようだが、キーワードには次のようなものがある。
「外人」「新幹線」「ホテル」「ミニスカート」「水洗トイレ」「関西の親戚」
「外人」は、大阪万博で初めて外国人を見た子供が多かったということである。米軍基地のある沖縄、岩国、三沢など以外は東京でもあまり外国人は多くなかった。この外国人は韓国人、中国人ではない。色の白い人や黒い人のことである。パビリオンのコンパニオンにサインをもらったという話は聞いたことがあったが、改めてこの本を読むと、同じことをしていた子供がとても多かったことがわかる。
「新幹線」は、初めて新幹線に乗車したということである。次の「ホテル」は旅館ではなく洋式ホテルに初めて泊まったということで、部屋にベッドが常設してあり、トイレが風呂の中にあったり、食事は部屋ではなくレストランでフォーク、ナイフを使うものだったりしたことに驚いた。
と、ここまでは子供らしいもので、万博をきっかけに大人の世界、国際社会を垣間見る、万博の正しい印象と言える。
「ミニスカート」以降は、都会ではなく田舎に活力のあった当時の国内事情をうかがわせる。いずれも田舎から初めて都会を見た印象である。現在でも位置としての田舎は存在するが、都会の生活が田舎にも浸透している。通信情報の到達は当然として、田舎でもコンビニはあるし、レンタルビデオもカラオケもある。食品はスーパーでラップに包まれた切り身を買うし、雑貨、家電も大型量販店で好きなモノを選ぶことができる。下水道が整備されていないところもあるかもしれないが、水洗トイレを知らない子供はほとんどいないだろう。大阪万博当時、日常水洗トイレを使用していない子供でも水洗トイレの存在くらいは知っていただろう。しかし、当時はその存在は噂の域から出ていない。大阪万博で初めて体験して、その使用方法がわからずに戸惑ってしまったのだ。現在ならばたとえ日常で使用していないものでも噂ではなく知識として理解されているので、水を流すレバーが結局わからずにそのままにして逃げ出すことはないだろう。失態はないが、感動もない。どちらが良いのかわからないが、初めて飛行機で外国に行ったときに、迷わずシートベルトを締めて、迷わずチキンを注文して、迷わず「サイシーイン」と言ってイミグレーションを通過して、タクシーを拾ってインターネットで予約済みのホテルに向かい、チップを渡すことすら忘れない用意周到なやつは好きになれない。やはり、テレビでしか見たことのなかったミニスカートの女性を生で見たら、控えめに新鮮な興奮をしてほしいと思う。
「関西の親戚」は田舎だけでなく遠方から大阪万博にやってきた人に共通する事情である。ホテル、旅館は満室で利用できないので、遠い親戚に頼って宿泊先を見つけたのだ。当時は旅行がまだまだ贅沢で、高額の旅費、高額の万博入場料金、施設利用料金がかなり圧迫していたので、最初から宿泊はおみやげ代金で済まそうと考える人も多かった。この機会に遠縁の親戚と懇意になったり、いとこの子供の強烈な関西弁に驚いたりした。
万博という派手で無機質な箱モノ、新幹線やホテルなどの近代施設だけに感動したならば、もしかしたら本質的には成功した万博になるのかもしれない。しかし、万博の箱モノに強烈な印象を残した子供は多くない。関西人を知ることにより視野が広がったことの方が残っている。もちろん、子供の印象なので難しい本質は理解できるはずもないのだが、万人に開示する万博にそんな殊勝なテーマは必要だろうか。難しいことはマニアを集めて学会を開催すれば済む。やはり、万博は開催地のもつ本音のパワーが重要だと思う。果たして愛知万博は大丈夫だろうか。
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