ヒマヒマなんとなく感想文|

「依存症の男と女たち」


(森川 晃 2004.4)

「依存症の男と女たち」 衿野未矢 講談社文庫

タイトル通り、多数の依存症の人を取材したメモである。軽度の人から薬物に頼らなければ寝食がままな らない人まで、よく取材している。ルポそのものはマスコミの取材よりも深いレベルに触れた優れたもの である。

 気になったのは、取材される側の報告に嫉妬が多いことである。この作者が特に高収入を得て恵まれ た生活をしているわけではないと思う。それでも取材される側から見れば、うらやましい健常者なのだ。

依存症の人は、まだ社会人に近い位置にいる。自分が間違っていることは自覚している。わかっている が、スムースに社会復帰できない。ジレンマは自身に回帰するのだ。もし、安全な位置にいるマスコミの 取材ならば、取材される側も雲の上の人ということで一目をおく。羨望の意識はあるが、その位置に行く ことはできない。だから、あきらめの気持ちで質問には答える。決して本心ではないので、ルポはありきたりの空虚なものになる。しかし、この作者のように不安定なフリーの立場ならば、その気になれば追いつける。そのため羨望の度合いは高まり、嫉妬に変わる。この感覚が、本心を引き出すのだ。

 長期入院患者が医師に逆恨みするよりも、身近な看護士に当たり散らすことに似ている。ある意味、危 険なリスクを負うことになるが、身近な位置での接触がなければ何も解決しない。マスコミや医師と対決 するならば、弁護士など金銭で契約した第三者が必要になる。

 これは単に甘えの行動かもしれないが、その行動の機会さえ与えない環境では、依存症のようなあい まいな病は解決しない。しかも、解決したときにその契機になった人は感謝されない。忌まわしい記憶を よみがえらせる契機になるので、意図して避けられる。「情けは人のためならず」という言葉があるが、全 く見返りを期待せずにこの精神を全うするためには好奇心に頼るしかない。不謹慎を承知で記せば、病 人に関わるのがおもしろいから接触するというスタンスで良いと思う。1995年1月17日の阪神淡路大 震災の直後、地元に在住の作家筒井康隆氏がインタビューで、好奇心でいいから神戸に見に来てほし いとおっしゃっていた。それで良いと思う。「情け」という大義名分は不要である。めちゃくちゃになった都 市を見にいくだけで、何か得るものがあるはずだ。もちろん、当方も見に行った。