ヒマヒマなんとなく感想文|

「いまこそ知りたい自衛隊のしくみ」


(森川 晃 2004.1)

「いまこそ知りたい自衛隊のしくみ」 加藤健二郎 日本実業出版社

 加藤氏の作品の特徴は「臨場感」である。戦場という特異な現場の様子をうかがえる表現 が良い。加藤氏よりもうまい文章のレポートは多い。机上で悪戦苦闘した結果だろう。加藤 氏は、現場で悪戦苦闘しているのだ。著書は報道資料というよりノンフィクションの読み物と いう感が強い。

 世間には兵器マニア、戦争マニアという人たちがいる。彼らは上空を戦闘機が通過すると 目視しなくても「音」で機種を識別する。もちろん、加藤氏もこの特技の持ち主で著書にも反 映しているが、マニアではなくても読み物として楽しめる。ただ、残念ながら書店では読み物 のコーナーではなく、戦争コーナーや国際ニュースコーナーというお堅いエリアに並べられて いる。「トリビアの泉」の人気で雑学ブームなので、その手の本を集めるなどレイアウトを変え るだけで結構売れると思う。でも、これは難しいので出版社ごとに棚に並べるのが効果的だ ろう。関心のある事象が発生したとき、案外「別冊宝島」が入門には廉価で丁度良い。別冊 宝島は多くの書店で同じ棚に並んでいる。軍事関連のタイトルでも雑学本コーナーに別冊宝 島のまとまりの中に含まれている。とても探しやすいし、ついでに目的外の本を衝動買いを することも多い。くだんの書籍の出版社においても別冊宝島と同様のレイアウトで良いので はないだろうか。

 自衛隊の規模がこの20年で何も変わらないのは、さすがに親方日の丸という気がする。 戦争や大規模災害、雪祭り、どのミッションも結局は「規模」によって作業内容は決まる。何 も変わらないということは、何ら予定外のミッションが発生しなかったということだろう。しか し、たとえ何もなくても、民間ならばハイテク化やコスト削減のために何らかの規模の変化は 生じるものである。コスト削減は無関係だとしても、ハイテク化は避けられない。隊員の装備 が重くなったということは本文に記されているが、隊員の数が少なくて済むということは本文 ではわからない。戦闘の内容がよりハードになってきたと理解すればよいのだろか。近代戦 は照準を合わせなくても標的に命中する仕組みがある。弾にカメラやセンサー、推進装置、 通信装置、それに自身で判断するROMを搭載しているということらしいが、報道ではいまだ に自爆テロのような極めてローテクな戦闘すら防御できていないことを伝えている。結局のと ころ、何をハイテク化すべきなのか、どこに要員を配置すべきか、そのためにどのくらいの規 模が適切なのかよくわからない。20年も変わらないというこ とは、現在の規模が正解という ことだろうか。

 当方の素人考えだが、戦場に人を差し向けるのは、いかなる兵器を装備していてもローテ クだと思う。HONDAのCMに出てくる「間抜けな」ロボットが前線で戦うのが本当のハイテク だと思う。いかなる武器を搭載してもOKで、数(兵力)にも制限はない。互いに動けなくなる まで戦って、それで恨みっこなしで良いのだ。

 まてよ、これって、工業高校の学校対抗のロボット自慢大会だな。

 かつて、ローテク時代は破壊が唯一の攻撃だったが、ハイテク時代は使用不能にする攻 撃になると思っていた。破壊と使用不能は異なる。破壊は、占領して横領しても使用できな い。使用不能は、電源を切るか、パスワードを変えるか、何らかの手段で「その人には」使用 できなくなるだけで、攻撃した人はちょっと細工すれば使用できるのだ。ほかにも、使用でき ないと思わせるという手もある。

 以前、山形県の地震計が地震を観測したことがある。この付近では地震は発生していない ので、極端に浅いところで小さな地震が発生したと考えられた。しかし、これは地震計の誤 動作である。正確には地震計ではなく、地震計のデータを集約する記憶装置の誤動作であ る。地面だけでなく地震計も何ら揺れていないのに、地震が発生したという「記録」は残る。 もし、ここが山形県ではなくチベットに近い中国西域の周囲数百キロにわたって無人のエリ アに設置されていたら、是正すべく調査すらせず記録になるのではないだろうか。この論理 が近代戦になると思っていた。しかし、こん棒を振り回していた原始時代と何も変わらない。 もしかしたら戦闘の本質が何も変わらないから、自衛隊の規模も変わらないのだろうか。

 現在の自衛隊は軍隊だと思う。さらに過去にさかのぼり明治のころから現代までの各年代 における軍人の数と全人口に占める割合を知りたい。違う印象になるような気がする。