ところで、川崎線には東京横浜間の高速ラダ−ネット化のほかにもう一つ重要な役
割がある。
東京を中心とする放射環状型の高速ネットワークで、キーになるのが東京外環自動
車道である。現在は、練馬区大泉から三郷市の常磐道までの区間が開通している。さ
らに市川市高谷の湾岸線までの区間が着工されている。つまり、北側から東側の区間
は目処がたっている。さて、西側の区間は計画当時から住宅密集地で、無事に着工で
きるはずもなく、30年以上前から保留になっている。石原都政になり、この区間の
重要性がクローズアップされ、全線地下構造で再設計し沿道住民の再説得を開始し
た。(当初は高架構造を基本としていた。東名高速の東京IC東側の砧地区には開通当
初から外環道分岐部が準備されている。また中央自動車道は本線走行ではわからない
が、三鷹地区で外環自動車道の接続を見越した橋脚になっている。いずれも高架構造
の巨大なジャンクションを想定している。)まとめると、東名高速から中央自動車道、
関越自動車道、東北自動車道、常磐自動車道と接続し、東関東自動車道までの区間は、
何らかの進捗が見られることになる。
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大師JCT線形模式図。
(現地広報看板を撮影)
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大師JCT、大師河原立坑工事概要図。
(現地広報看板を撮影)
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しかし、東名高速から南側の区間については何ら進捗がない。当初は、砧で東名高
速と接続してから多摩川の両岸を上下線分離で河口方向へ進行し、第ニ京浜と交差す
るあたりから大田区内の内陸部に入り、昭和島あたりで湾岸線に接続する構想だっ
た。これは都市計画決定に至るような具体的なものではなく、構想から40年以上を
経た現在でも構想のままである。多摩川の両岸をスーパー堤防化して、その中に外環
道を組み込めば不可能ではない。阪神高速大和川線は、この手法で実施することに
なっている。さて、多摩川の両岸は、大和川左岸に比べてあまりに市街化が進行しす
ぎている。スーパー堤防そのものが荒唐無稽である。また、大田区の内陸区間も第二
次世界大戦で実施した防空道路設置に匹敵する強引な区画整理を実施しなければ、と
ても道路空間を確保することはできない。つまり、東名高速以南の外環道設置は無理
である。
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東京外郭環状線(東京外環自動車道)路線図。
首都高速(K6)川崎線路線図。
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そこで、川崎線の全貌を見直してみると、川崎市を縦貫して湾岸線と東名高速をほ
ぼ外環道構想区間と平行して結んでいることがわかる。今後延伸される川崎線は、半
地下または地下構造が基本になっている。工期、費用とも大きなものになるが、実現
の可能性は高い。南から順に延伸されていく予定である。外環道の東名高速以南への
延伸をあきらめて、東名高速の堰から南への川崎線予定区間を外環道として着工すれ
ば、全線開通は早まるような気がする。川崎線の建設主体は首都高速道路公団で、外
環道は日本道路公団である。小泉政権下で、これらの公団をまとめるという政治的な
動きがある。本件がどのような結末を迎えるのかわからないが、なるべく早く全通さ
せるのに都合のよい編成に落ち着いてほしい。
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