ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

都市の成長とともに変化するインフラ(道の川柳・森川晃)

首都高速新宿R

 1994年11月12日、首都高速4号新宿線上りに新宿出口が設置された。19
87年から順次対策された渋滞対策プロジェクトの一環として設置された、環状線を
頭とする交通集中に起因する上り線の渋滞時における流出促進出口(ランプ)であ
る。都心方面との出入口である既存の新宿ランプに合流する構造で、西新宿副都心方
面に接続している。
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  首都高速新宿出口位置図
 首都高速4号線郊外方面と新宿地区へのアプローチは、初台ランプ(出入口)を介
してしたが、甲州街道の渋滞に巻き込まれスムースなアクセスができないことが多
い。西新宿、北新宿方面へのアクセスには画期的な出口である。ところが1994年
秋は、12月21日に湾岸線の空港中央R−大黒JCT間の開通し、それが衝撃的
で、新宿Rの開通はあまり話題にはならなかったと思う。確かに東京と横浜を結ぶ湾
岸線の開通は、極端に効果的で、恩恵を受ける方が多く、話題にするにはちょうど良
かったでしょう。年が明けて1995年1月17日には阪神淡路大震災で阪神高速神
戸線などが崩壊し、高速道路の開通の話題そのものがなくなってしまいましたが…。

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  首都高速新宿出口俯瞰画像
 (首都高速道路公団WEBサイトから引用)
 さて、掲題の首都高速4号の郊外方面からの新宿Rが設置されることが耳に入って
きた1984年ころに下記の3点が気になった。
(1)  計画中の首都高速中央環状線の西新宿JCTへの4号都心方面とのアプロー
チランプを設置する余裕が残るだろうか。
(2)  4号上り線からの新宿出口を設置する場合、橋脚を建てる余裕がないが、ど
のような構造になるのだろうか。
(3)  4号下り線への新宿入口の併設するとした場合、4号本線をオーバークロス
する高架構造にせざるを得ないが、甲州街道の幅員にそのような大規模な構造物を設
置する余裕があるだろうか。

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 新宿出口の本線分岐部分。
 結局、(1)は西新宿JCTでは4号都心方面とは接続しないことになった。
 また、(3)も設置しないことになった。そこで、(2)が問題になった。甲州街
道を拡幅しなければ、本線の左側に橋脚を建てる余裕がない。(歩道を無くしてしま
えば可能だが、そんなことはできない。)既存の橋脚を広げてランプ部を載せるとい
う手もあるが、鋼性橋脚ではないので容易ではないでしょう。既存部分は1964
年、東京オリンピックに間に合うよう作られたものであり老朽化が激しく、補強が施
されている。そのような橋脚にさらに荷重を加えることは考えられない。

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   首都高速4号上り線新宿出口開始部分。
  甲州街道中央分離帯から鋼性橋脚が建てられている。
  この逆L状の橋脚は、既存の本線を支えているものではなく、
  付加されたランプ部のみを支持している。
 (以下の画像はすべて2002年4月27日に著者が撮影。)

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  新宿出口、西参道口交差点上空通過部分。
  西参道口交差点には橋脚は建っていない。
 湾岸線の開通に比べれば地味ではあるが、とても味わいの深い施工である。景観工
学の面ではきっと批判されているのだろう。既存部分の甲州街道区間はなるべく橋脚
の本数を少なくし、橋脚に傾斜部分を擁し、S字状のダブルデッキの梁はスレンダー
な感じさえ与えていた。オリンピックの緊急事業であり実用オンリーの時期にそれな
りに柔軟な考えも生かされていたようだ。4号上り線の新宿出口新設で、橋脚の本数
が多くなり、梁の付加により当時の気遣いは失せてしまった。批判されても仕方がな
い。

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  新宿出口の既存出口への合流部分。
  既存部分の甲州街道通過区間は、
  出口が上路、入口が下路のダブルデッキ構造になっている。
  4号上り線の出口は上路に接続している。
  既存部分もアンバランスな構造になっていて、
  これ以上の荷重には耐えられないため
  新設部分だけを支持する橋脚が補間されている。
  画像の右側から
    1本目:既存部分(下路は入口の新宿料金所)
  2本目:新設部分
  3本目:既存部分
   4本目:新設部分
   5本目:既存部分
  になっている。
 それでも、当方はこうした改良が好きだ。インフラというものは都市の成長ととも
に変化していかなければならない。どんなに整然と作っても時代のニーズに合わなく
なれば作り直さなければならい。むしろ、いつまでも整然としているのは成長してい
ない都市に設置された過剰なインフラだと言える。
 新宿Rは、先述のような経緯であまり話題にはならなかったが、将来の東京を見据
えるとてもインパクトの大きいプロジェクトだったと思う。